11月 28

高校作文教育研究会では、昨年秋から1年半ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討してきました。

しかし、今回は「聞き書き」から離れて、表現指導の広大な地平に目を向けて、多様性な表現に向き合ってみたいと思います。詩、演劇、小論文や志望理由書の指導について検討します。いつものように、生徒作品や生徒の表現を丁寧に読みながら、具体的に考えましょう。
 
どなたでも参加できる研究会です。どうぞお気軽にご参加ください。

1 期 日    2009年12月13日(日)10:00?17:00

2 会 場   鶏鳴学園御茶ノ水校
         
3 報告の内容

(1)自分を見つめる詩の授業・成長の記録
        埼玉県立 上尾高校定時制 遠藤 芳男

 教員生活37年のうち、14年間の定時制勤務の中で、国語教師として定時制でなければ出来なかった実践の一つが「詩の授業」、それも鑑賞だけでなく、生徒自身に詩を書いてもらう授業だ。どう詩を書いてもらったか、詩を書いてもらうことで見えてくる生徒たちの成長について報告したい。教科書の詩は詩人の書いた「鑑賞を目的とした詩」だ。これらの詩を読み、「詩」を書こうと意欲の湧く生徒はまれだ。何のために「詩」を書くのか。どうしたら、本当の自分を表現できるのか、考えてみたいと思う。

(2)表現技法の初期段階
                  茨城県 私立清真学園 釜田 啓市

この数年間、小論文や志望理由書の指導を続けてきました。「書く」という知的作業は「知的」なだけに(?)、生徒にとってとっつきにくい側面がどうしてもあります。この「とっつきにくさ」を解消するために、私は「写す」という作業から指導を始めております。今回はこの初期指導を受けてきた生徒の志望理由書を中心に、「写す」作業以外のことも含めてお話できればと思います。

(3)沖縄方言を使った劇の創作と進路決定に向けたレポート学習
               長野県立 野沢南高等学校 臼田 悦子

 修学旅行を前にした事前学習。単なる調べ学習では個人差が生まれ、印象にも残らないのではないか、と取り組んだのが沖縄方言版「桃太郎」の制作、上演。その顛末をお話しします。その他に授業で取り組んだレポート学習と発表が、進路決定にどう反映されたのかも報告します。

4 参加費   1,500円(会員無料)

11月 16

シリーズ:「聞き書き」を学び合う 第7回 
高校作文教育研究会11月例会

高校作文教育研究会は、昨年秋から1年半ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討しています。

これまで、全国の中学、高校のすぐれた実践家たちをお招きし、みなで共同討議をしてきました。今回は、その特別版です。「聞き書き」の歴史を振り返りたいと思うのです。

1960年代から70年代にかけて、都立豊多摩高校では、奈良などの地域の調査を高校生が共同で行いレポートをまとめたり、戦争体験の聞き書きを行ったりするなどの先行的な実践が行われていました。それは筑摩の国語教科書にも掲載され、全国に強いメッセージで発信されました。

その当時の実践のリーダーだった丸尾寿郎氏(教科書編纂をした小沢俊郎氏の同僚)に、
報告していただきます。当時の状況、実践の話、同僚たちとの連携、教科書に掲載後の反響などを話していただきます。
 これは戦後の教育史における「聞き書き」の歴史の確認でもあり、先人の実践の継承にもなると思います。
 
小沢俊郎氏はすでに亡く、丸尾さんはすでに80歳を超えていますので、これがお話をうかがえる最後の機会になるかも知れません。

関心のある方は、是非おでかけください。

1 期 日    2009年11月22日(日)午後1:00?4:30

2 会 場   鶏鳴学園御茶ノ水校
         東京都文京区湯島1?9?14  プチモンド御茶ノ水301号
         ? 03(3818)7405 JR御茶ノ水駅下車徒歩4分
       ※鶏鳴学園の地図はhttp://www.keimei-kokugo.net/をご覧ください

3 参加費   1,000円(会員無料)

10月 30

10月22日、23日の2日間。中学・高校の先生方に「論理教育」のワークショップを行いました。1日に3時間ずつの、ハードなものでした。また、26日には同じ先生方に中学・高校6年間の「表現指導」について講演しました。
インプットとアウトプットの両面で、私の考える教育の理念と具体的方法論をお伝えしました。

これは、東京都立の桜修館中等教育学校で行ったものです。
ここは、中高6年の一貫教育を行っている学校ですが、「論理教育」を理念に謳っています。全校挙げて、全教員による論理教育を試行しています。
その理想の実現のために、私のワークショップと講演は行われました。

桜修館中等教育学校は、都立大学附属高等学校として創立されましたが、この間の都立高校の再編統合によって、4年前(平成18年4月)に中等教育学校(中学・高校の一貫教育校)として再スタートした学校です。各学年4学級(160人)で、6学年合計24学級(960人)の規模。

その売りは「論理教育」で、「本校は、論理的に考え、表現、行動するリーダーを育成し、国際社会で活躍する人材を輩出することを目指します」とあります。
全校でのこうした取り組みは画期的なものです。
また、新しい学習指導要領では全教科での言語活動を謳っていますが、この学校の理念は、その先取りになっています。

昨年に中学3年間の取り組みが終わり、今年は1期生が高1になりました。
来年度には彼らが高校2年になり、全員が「論文」という大作に挑戦し、それを全教員が担当します。
今年は、中学3年間の取り組みの総括をし、来年の論文指導に備える重要な年です。そこで、私の方法論に賛同していただいた須藤勝校長や一部の先生方の要請で、今回のワークショップと講演会が実現しました。

今後、どのような形で、論理教育と表現活動が行われていくのか、実に楽しみです。

10月 18

 この夏に行われた「日本作文の会」全国大会の高校分科会で、鹿児島の中俣勝義氏、都立江北高校定時制の木村信太郎氏の実践から考えたことをまとめました。

◇◆ 刺激的な出会いと学びのあった大会 中井 浩一 ◆◇

 この夏の大会では、刺激的な出会いがあり、学ぶことが多かったと喜んでいます。
 
? 鹿児島の中俣勝義氏

 鹿児島県の中学での実践家として有名な中俣勝義氏との出会いは嬉しいものでした。
 彼は定年後、医療福祉専門学校で「文学」と「教育学」の授業を担当されており、その実践報告をしていただいた。学生は10代から30代までの多様な人々。
  『蟹工船』をテキストにした「文学」の授業では、今の日本社会や、自分の生き方を見つめ直すことを促して、成功しているようでした。
  「教育学」では、その多様な学生に、中学の実践から生まれた生徒作品を整理し、それをぶつけることで、各自の生き方・考え方を見つめ直すことを求めるものでした。受講者からのすばらしいコメントが生まれていました。
 実は、この大会で中俣氏が報告すると聞き、直前に氏の中学での実践記録『先生!行き場がない』(1995年。エミール社)を読んで、心を動かされていました。私の実践と似ていることに驚き、また励まされたのです。それは以下の3点です。

(1)公開の原則
(2)認識の深化のために、観点を与えての書き直しを重視する
(3)生徒同士の読み合いを重視する

 特に、(1)と(2)は私と同じ考え方の方が少ないので、心強く思いました。(1)は(3)のために不可欠です。私は公開か非公開かは生徒の側の選択権だと考えるので、それを教員が奪うようなことは間違いだと思っています。(2)は生徒の認識を深めていくために不可欠と思っていますが、なかなか行われていません。
 中俣氏が医療福祉専門学校で行っている「教育学」の授業では、30代の女性から次のようなコメントが生まれています。

———————————————————–
 私は高校を卒業し、4年大学へ行き、社会に出て、また今、学校に通っています。年を重ねていますので、高校生あたりから自分のことについては、かなり受けとめられるようになってきたと思います。でも、まだまだ未消化で、何かあると自分のことを思い出して、それをずっと考えてしまいます。しかし、以前のように、悲しいこと辛いことの中心に私がいて、そこから抜け出せないということではありません。心の傷は確かにありますが、普段は、哀しみ辛さを脇に避けて置くことが出来ます。それはこれから自分を作っていけるということ、傷を受けとめ、前に進めるということであると思います。
———————————————————–

 この後半部分に私は注目したいのです。「心の傷は確かにありますが、普段は、哀しみ辛さを脇に避けて置くことが出来ます」。これは大切なことです。それは「逃げ」でも「無視」でもありません。いったん「脇に置く」のです。そして初めて、「これから自分を作っていける」のだし、「傷を受けとめ、前に進める」のです。いったん「脇に置く」のは、真にそれに向き合い解決していくためです。
 
 30代の著者が、こうした認識を獲得できたのは、中俣氏が中学生から引き出した作品群を読み合い、みなで考えることによってでした。その作品群は、中学生たちがみなで読み合い書き直しを経て生まれた物です。そして、専門学校での4カ月の授業でも、毎回授業後に感想を書きます。それが10数回積み上げられて、最後の回に、彼女はこうした認識を表現しています。
 表現指導の持つ力、可能性がしっかりと見えました。そのために必要な条件も明らかだと思います。

? 都立江北高校定時制の木村信太郎氏

 都立江北高校定時制の木村信太郎氏の実践では、全生徒の作品を毎年「江北文集」にまとめて刊行しています。ここでも基本的に、実名での公開が原則であり、教員の皆さんも本音で書いた文章を寄せています。        
 そこから、次のような文章が生まれています。

———————————————————–
友の話

 今の僕がいるのは、今までに出会ってきた人たちがいたからです。昔、僕は小学校に入学する前に、よっちゃんという人と万引きをしまくっていた。それが最初の悪い事で、そのことがあって警察につかまったのも小学校入る前で、小学校入学してからは、うそつき健太と呼ばれていた。マジ、うそつきまくっていて、友達はよっちゃんて人しかいなかった。小二までがそのままで、小三になってクラスのみんなとケンカばっかしていて、その時に一対一をおぼえたのだ。女の子に恋というものをしたのだが、女も男もクラスの人からは、まじきらわれていて恋とかいっている場合じゃないことだと思っていたけど、おそかった、と思ったら一人の男子の子がクラスのみんながオレのことを責めているところ、オレに味方してくれて、そのときまじうれしかった。そしてはじめての親友ができた。そのときクラスのみんなとはじめて仲良くなれたときだったんだよ。それから学校が楽しくて楽しくて、まじ学校がいいとこだと思った。だけど、母のことがあって、学校に行けない日が多くなってきて、先生もそのことで心配してくれたし、友達も心配してくれた。そして、なんとか小六の時は、安定して学校に行けるようになった。楽しいことのあとには卒業という別れがおとずれ、その時、自分は大人への一歩なんだと心の中で思いつつ、とても悲しい気持ちで卒業式をむかえ、はるばる卒業したのです。 そして中学生となりました。中学では、案外かんたんに友達ができて、ばか騒ぎしまくったり楽しい毎日ですが、悪いこともおぼえたりした。タバコに酒やケンカもしたり、小学校ではしてはいけませんっていっていたやつをやったり、放火して父にぶっ飛ばされたりもありました。先公がうざくなったり、他校に乗りこんだり、バイクパクったりしたし、女ってもんもおぼえたりしたし、よく警察につかまったりもしたけど、なんだかうまくいって、鑑別に入ってなくてよかったし、行かされなくて中学の友達はみんあ本当にいいやつばっかだったよ。今でもみんなとつるんだりしてるし、なんていうか楽しかった中学校も、高校は、もっといいやつらと友達だと思ったよ。僕のことをいつも心配してくれて電話してきてくれるやつもいたし、よく言いあいになって怒るけど、仲良くなるのがすごく早いやつもいたし、いつもいっしょにいるやつもバイク乗ってて面白くていいノリの人も、かつぜつ悪いやつも、年上なのにとてもやさしくしてくれる人も、おれまじで高校の友は生涯の友だと思ってる。まじいいやつばっかでした。
———————————————————–

 「仲良くなれたときだったんだよ」「中学の友達はみんあ本当にいいやつばっかだったよ」「高校は、もっといいやつらと友達だと思ったよ」などの文末のことばが、私は気になります。この呼びかけは誰に向けられているのでしょうか。なぜ呼びかけているのでしょうか。

 この作文は授業中に書かせたものでしたが、著者は夢中で書いていたそうです。そして、この文章を書いてしばらくして彼は退学したとのことでした。彼は、この文章を書いている時点で、すでに退学の決意を固めていたのでしょう。彼は、この文章が退学後、刊行されて定時制の友たちに読まれるだろう事を意識して、この文章を書いていると思います。

 この文体の中に現れる「呼びかけ」は誰に向けられたものでしょうか。それは自分に対してでしょう。これは「自分とは何か」の答えを出すためのもの、自己確認の文章です。友について語ることは、それを通して自分を語ることに他なりません。直接自分を語るのでないだけに、それは冷静に自分を見つめることを可能にします。
 しかも、それは自分に語りかけているだけではなく、やはり定時制での仲間の一人一人を思いだし、その一人一人に語りかけ、自分との関係を確認しているのです。それが自己確認に他ならないからでしょう。仲間への呼びかけを通して、それは自分ときちんと向き合うことができています。その友との関係が大切なものだからでしょう。
そして、その自己確認を終えて、彼は退学し、次の道を歩き始めました。

 私の解釈が合っているかどうかはともかく、こうした文体の意味にも着目し、その意味を考えていきたいものです。

8月 03

 7月31日から8月2日まで、日本作文の会の全国大会で長崎に行って来ました。
 私が代表を務める「高校作文教育研究会」が、2日間の高校分科会をそこで開催するようになって7年。これまで毎年、実践報告をしてきました。
 参加者は長崎、鹿児島、兵庫、高知、神奈川、東京、茨城などから、15人ほど。
 
 私は、今年は「聞き書き」について報告しました。
 自己理解のための、対象・社会理解。そのためには、社会理解(現場取材とインタビュー)で、現実認識を深めて、自分自身の問いを立てる必要があります。
 そこでは、現実認識が上っ面にとどまらないための厳しい指導が必要だ、と話しました。それでこそ、自己理解が深まるのだと。(内容は拙著『脱マニュアル小論文』の第3章を踏まえたものでした)
 参加者からは好評でした。
 
 鹿児島県の中学での実践家として有名な中俣勝義氏も報告してくれました。定年後の福祉専門学校での「教育学」と「文学」の授業の実践報告でした。学生は10代から30代まで。
 「教育学」では、その多様な学生に、中学の実践から生まれた生徒作品を整理し、それをぶつけることで、各自の生き方・考え方を見つめ直すことを求めるものでした。受講者からのすばらしいコメントが生まれていました。
 『蟹工船』をテキストにした「文学」の授業でも、今の日本社会や、自分の生き方を見つめ直すことを促して、成功しているようでした。

 実は、少し前に、氏の中学での実践記録『先生!行き場がない』(1991年。エミール社)を読んで、心を動かされていました。
 私の実践と似ていることに驚き、また励まされたのです。
 それは以下の3点です。
(1)公開の原則
(2)認識の深化のために、観点を与えての書き直しを重視する
(3)生徒同士の読み合いを重視する

 特に、(1)と(2)は私と同じ考え方の方が少ないので、心強く思いました。