11月 14

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

来月12月3日(日曜)の学習会の案内を掲載します。

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12月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
年に数回開催し、親子関係や、その他現代の子どもを取り巻く様々な問題に関する悩みを話し合い、ご一緒に考えています。

前回、10月の学習会に続いて、12月も子どもたちの「思春期」について考えます。
10月は思春期の親子関係に焦点を当てましたが、12月は、思春期の子どもたち自身にいったい何が起こっているのかをテーマとします。

テキストは、現代の中学生を描いた小説、重松清著『エイジ』(新潮文庫)です。
中学生ともなると何を考えているのやらわかりにくいものですが、小説ですから、彼らの家庭や学校での思いが見事に表現されています。

小説の舞台装置としての「通り魔事件」をきっかけに、子どもたちが世間に「嘘くささ」を感じ、また自分自身にも戸惑います。
「思春期」とは何かがよく描かれていると思いますが、お子様のことや、ご自身の思春期に思い当たるようなところはあるでしょうか。

また、20年近く前に書かれた本書は、すでに生活、文化的には少々古いですが、テーマの一つである「シカト(=無視)」は現代版のいじめを象徴するものだと思います。

鶏鳴学園の中学生クラスの授業でも教材にしている小説なので、学習会では子どもたちの声も紹介します。

1. 日時:12月3日(日曜)14:00?16:00
2. 場所:鶏鳴学園
3. 参加費:1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4. テキスト:重松 清著『エイジ』(新潮文庫)
※ 時間が許す範囲で、またご興味に応じてお読みください。
小説について話し合うのではなく、目の前の子どもへの理解を深めるために、話し合う材料の一つとしましょう。

参加をご希望の方は、「家庭・子育て・自立」学習会ブログ内の、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

 連絡先 〒113-0034
  東京都文京区湯島1-3-6 Uビル7F
       鶏鳴学園 家庭論学習会事務局
  TEL 03?3818?7405
  FAX 03?3818?7958
 

11月 02

みなさん、お元気ですか。
台風が毎週のように来て、雨が多い10月でしたが、
この数日は、気持ちの良い秋晴れが広がっていますね。

11月と12月の読書会テキストが決まりましたから、連絡します。

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◇◆ 11月、12月の読書会テキスト ◆◇

許 萬元 (著)
『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』 (大月書店1968年)
を読みます。

9月の読書会で取り上げたのですが、
内容がありすぎて、1回では終えられませんでした。

そこで、11月と12月の2回をかけて、丁寧に読んでみることにします。

11月は2章から5章まで
12月は6章と7章

『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』は刊行が古いですが
アマゾンで中古品で簡単に入手できます。

本書はヘーゲル哲学の発展観を深い理解で提示してくれます。
発展とは何か
その「始まり」「途中」「終わり」とは何か
認識と実践とはどう関係するか
など

最重要なテーマが取り上げられています。

◇◆ 2017年11月以降のゼミの日程 ◆◇

基本的に、文章ゼミと「現実と闘う時間」は開始を午後5時、
読書会と「現実と闘う時間」は開始を午後2時とします。
ただし、変更があり得ますから、確認をしてください。

なお、「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

11月
 5日(日)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 19日(日)読書会+「現実と闘う時間」

12月
 2日(土)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 16日(土)読書会+「現実と闘う時間」

                                        
                                       
◇◆ ヘーゲルゼミ ◆◇

毎週月曜日

原書購読と日本語テキストで読む時間があり、
原書購読は午後5時から、小論理学の24節を読んでいます。
日本語テキストの時間は午後7時過ぎからで、
原書購読に関連する日本語文献を読んでいます。
 
                                       

10月 11

10月の読書会の追加テキストの案内をします。

10月22日(日)読書会テキストは

『アンティゴネー』 (岩波文庫) ? 2014/5/17
ソポクレース (著), 中務 哲郎 (翻訳) 

です。

ギリシャ悲劇の古典を読むのが目的ですが、

中井ゼミのメンバーが来春にこのテキストを上演することになったので
それを側面支援する目的もあります。

今、今回の読書会のための準備をしているのですが、
読書会テキストを追加することにします。

『演劇とは何か』 (岩波新書 赤版32)
鈴木 忠志 (著)
です。

アマゾンで
中古で安く、簡単に入手できます。

これは文字通りのテキストですが、
演劇の本質論を展開し、
現代のわれわれがギリシャ悲劇を上演し、それを観ることの意味も検討しています。
今回の読書会では、ギリシャ悲劇の古典を読むだけではなく、それを観ることの意味までを検討したいと思います。

9月 28

2017年の夏合宿の報告です。
感じられます。
それはそのままに、ヘーゲルやマルクスの学習を深めていきます。

6人の参加者の感想を掲載します。一部仮名です。
昨日に続いて
残りの3人です。

■ 目次 ■

4.人は自らの中に否定=限界を持つ  田中 由美子
5.自分の心の動きを意識する  黒籔 香織
6.存在論の中にある発展の論理  松永 奏吾

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◇◆ 4.人は自らの中に否定=限界を持つ  田中 由美子 ◆◇

 合宿では、ヘーゲルの発展の論理を、論理学のはじめの存在論などから学び、
人はどのようにして成長することができるのかを考えた。

 まず、自分が何者なのかということは、自分はこれこれの人間ではないということでもある。
どういう人間であって、どういう人間ではないのかというその限界が、その人が何者であるのかという規定である。
つまり、存在することのなかに否定や他者が含まれている。否定がなければ何も存在し得ないと言える。

 そうして人は自らの中に否定を持ち、そこに矛盾があるから、他のあらゆるものと同様、必然的に運動し、
変化する。自分ではないものへと変化し、しかし、それは元々自分の中にあった否定的な存在、
まだ外化していなかった自分が引き出されたのでもある。

ただし、その変化がたんに偶然的で、納得づくのものではない場合は、人は同じレベル内を虚しくさまように留まり、
自分をつくり上げるような成長にはならない。

しかし、人はその虚しい悪無限という限界も超えていくことができる。自分の限界を自らに対してはっきりさせ、
つまり限界を納得づくで、自覚的につくり出していくことで、人は人として成長する。自分の中の自らそのもの
である限界を探り当て、引き出し、明らかにすることが可能だ。そうして自分の中から自らつくり出した限界だから、
人はそれを超えていくことができる。その矛盾の運動を、自分のゴールに向けて何回でも繰り返し、深めることができるのだ。

 具体的には、何を目的やテーマとして生きて、そのために誰とどのように関係していくのかを、自分自身から引き出し、
その他者に現れた自分を超えていける。そうして自分自身、すなわち自分のテーマをどこまでも深めていける。
 今回の学習から、そう理解した。

 そのことをもとに、塾の仕事での現在の課題の一つを考えてみた。
生徒がおかしなことをしていたら批判をするが、腰が引けてしまうことがある。特に、生徒が自分の経験を
ていねいに作文に書いてきたときに、その内容、本人の言動に問題があっても、精一杯正直に書いたこと自体を
受けとめるところに偏りがちである。

世間には子どもをほめるべきだ、そのありのままを肯定すべきだという主張があふれているが、どう考えるべきなのか。
中井さんは、否定や批判がダメだという考えは、その否定が人間の外からのものだという誤解に基づいていると話した。

はじめに書いたように、否定や限界は人間の中にある。つまり、子ども自身の中に、今のままの自分では嫌だ
という思いがある。たとえば、子どもがいじめを正当防衛だと主張すれば、そのことに気をとられがちだが、
表面に表れていることの奥に、子ども自身の自らの否定、限界が生まれてきている。正に子どものその思いを
感じるからこそ、その上に強い批判は必要ないだろうと考えがちだ。しかし、その思いの意味をどれだけ深い
レベルで認めて光をあてることができるのかが問われるのだと思う。

◇◆ 5.自分の心の動きを意識する  黒籔 香織 ◆◇

1.合宿全体

2014年夏以来、3年ぶりに合宿の4日間すべてに参加ができた。予習をする余裕はなかったが、原書講読から
参加できて良かった。自分自身に対しても「合宿に4日間参加する」と意志を貫けて良かった。自分の中に
出てきた欲求、意志を周りに流されずに、捉えて自覚し、行動することを積み重ねていきたい。

合宿は、自分の中で竹の節のように区切り、制限(Shranke)を作る場で、自分の今の状況を確認する場として
とらえている。逃げ場がなく、自分自身を追い込める場との認識があった。自己確認の場として今回の合宿を
振り返ると、おおむね仕事としては順調であることが分かった。

一方課題としては、相手に分かるように的確に話をまとめられないことと、矛盾を捉えて、その矛盾を全面的に
押し出して展開した文章を書くこと。そもそもこの矛盾を捉えることがまだまだできない。矛盾を捉えられないから、
話を的確にまとめられない面もあると思う。今回中井さんから「『心が動く』ということには、そこに矛盾がある」
とのアドバイスを受けた。仕事や文章を書く上で心の動きを意識していきたい。

2.Shranke(制限)は乗り越えた後にはっきりする

中井さんが合宿で説明した「個々のGrenzeが1つのGrenzeとして捉えて理解が深まった時、絶望となり、Shrankeとなる」
という説明が分かりやすく、心が動いた。

私は一時期繰り返し自分がGrenzeに直面しているとの文章を書いていた。すなわち、周りからの評価ばかりを
気にする生き方では、私はやっていけないということを自覚し、それに代わる生き方をつかもうとしていた。
洋食屋のマスターに週1回話して、食やサービス業の一つ一つから、マスターの人や物事の見方を学んでいた。
日々の生活に大事なものがあることを伝えられる文章を書いていきたいと思っていた。当時書いていた文章は、
感覚的に心が動いたと思って書いたものでも、具体的にどの部分で私の心が動いたかを私自身、はっきりと
とらえきれていなかったのではないかと思う。コツコツと日常に大切なことを書こうとしてきて成果を出せた
今だからこそ、当時の自分を振り返られるのだと思う。

3.根本的な矛盾を捉える

存在論を丁寧によみ、ヘーゲルが「存在」(sein)と「否定」(nicht)から一貫してシンプルに論理学を展開
している点にヘーゲルの凄味を感じた。「存在」と「否定」という根源的な矛盾を捉えて言葉にしているからこそ、
その言葉が心に残り、自分の生き方や経験を振り返って考える行動を促す力があるのだと感じた。まだ矛盾を捉える
とはどういうことなのか、がわからない。心が動くということは、私の中で運動が起きているため、
何かしらの矛盾がそこにあるということだ。心の動きを手掛かりに、矛盾を捉えるとはどういうことかを
はっきりさせていきたい。そしてヘーゲルのように人の心に届く根源的な矛盾を伝えられる文章を書けるようになりたい。

◇◆ 6.存在論の中にある発展の論理  松永 奏吾 ◆◇

 ヘーゲル哲学の体系の中で、「制限と当為」が、存在論の中にあること自体に驚いた。普通の意味で、
「制限」とは、人間の意識が捉える限界のことであり、「当為」とは、制限を捉えた人間がそれを乗り超える
活動のことである。かたや、存在論は、論理学の第一部であり、後に本質論から概念論へと発展していく、
そのはじまりの部分であり、論理の基礎のような位置付けである。制限と当為は、動物や植物には関係のない、
人間の主体的な活動レベルの話であると思っていた私は、論理のはじまりのところにそれが出て来るということに驚いた。

 しかし、存在がただ変化し、移行するだけだったら、そこには発展がない。発展がないということは、
「進化」もない。中井さんの解説を聞きながら、私は昆虫の「進化」のことを思い浮かべて聞いていた。

トンボは、幼生期はヤゴとして、水中で生活している。ヤゴは、水中で脱皮を繰り返しては成長し、
羽化直前の終齢になると、羽らしきものを背負った姿になる。二つの複眼の間隔が狭まったトンボらしい顔つきになり、
餌を食べなくなり、水面から顔を出し、エラ呼吸が不要になりつつあることが分かる。これらはまさに「変化」であるが、
それは、トンボ類が水中生活から空中生活へと「進化」を遂げた歴史が、個体において繰り返されたものでもある。
水中生活の限界から空中生活へ、あるいは空中生活の限界から水中生活へと、生活を変えるべき諸問題が
そこにあったはずである。トンボにとっての諸問題は、トンボの外的環境の側にあったとも言えるが、
トンボの内的環境がそれを「制限」としたからこそ、トンボは変態を遂げ、「当為」を実現した。

人間はそれを意識を媒介にして行う、という点が異なるだけであり、植物、動物、昆虫の変化は、
制限と当為の論理そのものの実現である。存在論の中に、すでに生命のもつ論理が潜在的にある。
そしておそらくは、生命誕生の前、地球の活動の中にも制限と当為の論理はある。そこから生命が誕生し、
人間が誕生し、私が生きていることの意味もすべてこの論理の中にある。すべての存在の中に発展の論理がある。
合宿中にこういうことを考えた。

9月 27

2017年の夏合宿の報告です。
いつものように八ヶ岳のふもとの清里で、8月に3泊4日の合宿を行いました。
今年も、私の他に、社会人が5人、学生が1人参加しました。6人中男性は2人、女性が4人。

この数年、参加メンバーが実に多様になりました。
まず女性が多い。50代の女性が2人います。1人は専業主婦でした。
もう1人は今は鶏鳴学園で教えていますが、50歳までは専業主婦でした。
この春に大学を卒業したばかりの20代の女性は、演劇の世界で生きようとしています。
もう1人の30代の女性は、新聞社で記者として活動しています。
男子は少ないのですが、高松君は雅楽の笛の演奏の練習をしながら、雅楽の背景となる歴史や文化面を学んでいます。

今年の学習内容ですが、
前半の原書講読はヘーゲル論理学の「制限と当為」の関係の箇所を読みました。
特に、小論理学の92節の本文と付録と大論理学の該当箇所を初版で読みました。

ここはヘーゲル論理学のまさに「始まり」「根源」だと思います。
すべてがここにある。ここにその後のすべてを読みとれなければならない。

後半は、必然性についてと、発展とは何かについての中井の文章と関連する文献を、みなで検討しました。
発展の理解や必然性の理解は、「制限と当為」にまでさかのぼり、そこからとらえられなければならないと思い定めました。
そのために原書講読でこの範囲を読んでみたのです。

私には最近の心境の変化があります。
それはヘーゲル哲学のキーワード集を独自に作らなければならないと思い定めたことです。
それをしない限り、しっかりと私自身の考えを積み上げていけないと覚悟しました。
そのための準備として、「発展」と「必然性」の項目に何をどう書くかを検討したのです。

いつも合宿では、合宿でしか起こらないこと、できないことが起こります。
合宿でもいつものように「現実と闘う時間」があり、各自の課題を考えていきます。
毎晩あるのですが、休み時間や食事の時間、すべての学習の時間で、その課題が話されます。
4日間、3日間を一緒に過ごすことで、互いの理解が深まっていくのが感じられます。
それはそのままに、ヘーゲルやマルクスの学習を深めていきます。

6人の参加者の感想を掲載します。一部仮名です。
具体的な叙述が少なく、わかりにくい文章もありますが、それぞれが一生懸命自分の課題と向き合おうとしています。

■ 目次 ■

1.「他者は自己である」に関しての問題意識  岩崎 千秋 
2.自分の言葉にすることで限界を越える  高松 慶
3.ウサギの制限を超える  塚田 毬子

ここまで本日
以下は明日  

4.人は自らの中に否定=限界を持つ  田中 由美子
5.自分の心の動きを意識する  黒籔 香織
6.存在論の中にある発展の論理  松永 奏吾

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◇◆ 1.「他者は自己である」に関しての問題意識  岩崎 千秋 ◆◇

今夏、ゼミ合宿に初めて参加した。これまでは、漠然と母との関係に疑問を持ちながらも胸の奥に潜在的に
ある生き辛さが何であるのかを認識することが出来なかった。しかし、2年前よりゼミに参加することで
これらが外に現れて行き、母という対象がはっきりした。それが、発展の運動であることまでは理解していた。

今回の合宿では、さらに先に進むことができた。ヘーゲルは発展の存在論の中で他者への自己の外化を
「移行(変化)」の運動とすること、更に、他者への自己の外化は同時に自己の自己への内化であり、
これを本質論において他者への反照、反省の運動とすることを学んだ。つまり、他者のように見えた母が、
実は私自身であり、しかも本当の私の姿であるというのだ。母は、相手が母に対してぞんざいな接し方や
話し方をすることをとても嫌がっていたので、表面的で形式を気にする母と同じであるとは思いたくなかった。
しかし、母が私に伝えたかった内容や目的を考えることをせずに、母がどのように言ったのか、
どのようにすれば良かったのかと、形式や手段ばかり気にしていた自分をこの合宿で初めて認識して反省することが出来た。

この移行(変化)と反照、反省を合わせて理解出来るのは、ヘーゲルの概念論の段階であり、概念論こそが
発展であると学ぶことができた私は、これからも目的をはっきりさせて自己実現するために発展していきたい。
そして、母が私に子育てを通じて何を伝えたかったのか深く考えたい。

◇◆ 2.自分の言葉にすることで限界を越える  高松 慶 ◆◇

 ヘーゲルを4日間勉強するというのは私にとっては初めての経験であり、それゆえ緊張していた。
合宿というもの自体が、そこでの目的と、一緒に勉強する先生や仲間たちと24時間を共にするというものである。
人とあまり接してこなかった私にとっては苦行というイメージしかなかった。

 そして、実際に苦しかった。2日目のドイツ語でヘーゲルを読む時間までで体力が尽きてしまったのだ。
中井さんの話は聞くが、あくまで声が聴こえてくるくらいのもの。あまり頭が働いていなかった。

 しかし、逆に言えばそれは2日間だけでもしっかりと考えられたということだと思っている。
2日目までのドイツ語の時間では初版『大論理学』の存在論より「制限と当為」、
『小論理学』定存在の項より同じく制限と当為に関わる92節とその周辺を読んでいた。

私はその中で特に、限界はそれと気づかない限り越えられないものであるという説明に圧倒された。
何故なら、私が今まで自分の現状に気付いてこなかった、そのことを合宿の前と合宿の中で気付かされたためだ。
私は親の価値観を超え、新たな自分を作るために中井さんとの師弟契約を考え、親ともそれにかかる
お金の話をしたうえで無事師弟契約をした。しかしそこで私はもう親を超えられたと思ってしまい、
親との関係を放置気味にしていたからだ。そして8月に入ったあたりから、大学を卒業した後の進路で
親と考えがぶつかりあった。そして親と話し合っている中で、親の価値観に共感するばかりか、
そこに十分な反論ができない自分がいるとわかったからだ。

身近な大人、つまり親やその祖父母の価値観との戦いは、私のような大学生、さらには20代の人たちに
とって本当は避けられないもので、1度超えたらもう後は安泰、というものではない。安泰だと思っているのは、
そこで止まってしまっているということだ。その時には恐怖を感じていない。不足や欠点があると分からない。
運動したら、そこではぶつかり合うことへの怖さが生まれる。その怖さを避けてしまっているからだ。
自分ではそれに気づかず、それでいいとむしろ肯定している。そのことにもぞっとする。

限界を制限にするには、自分の深いところの本音をどこまで意識できるかなのだと思う。
何かに出会ったときに自分がどう感じ、考えたかは勿論のこと、前触れもなく急に自分の将来について
不安になるなどということ1つ1つの過程、背景をどの深さまで捉えられるか、言葉で後追いできるか、
その意志があるかということが大切だと思う。

あと、限界を意識し、制限だと分かったうえで乗り越えることは苦しさもあるが、そこには本当の喜びが
あるように感じる。止まっているときは安泰ではあるが、感情もその分だけ動かなくなってしまうのだと思う。
合宿所のロッジで私と同じ年くらいの人たちが楽しそうに大騒ぎしていたが、その根底で変化を求めている
からそうしているのだろう。自分の心の底から変わりたいと思い、それが多少なりとも実現した時、
本当の喜びがあるのではないか。

◇◆ 3.ウサギの制限を超える  塚田 毬子 ◆◇

 中井ゼミの合宿に参加した。これで二回目となる。前回である昨年は半分の参加だったが、
今回は全日参加で、大きく異なるのが原書講読への参加だった。

 合宿で扱う範囲を予習するために、8月に入ってからはゼミ生同士での予習会に追われた。
他に何をやっていたか覚えていないほどだが、ここで一気にドイツ語を詰め込んだことで自分のドイツ語
理解がかなり進んだ。合宿でも自分が訳していった範囲は理解しやすかった。私にとって語学は鬼門であり、
ドイツ語も嫌々やっていたのだが、少しだけ分かるようになり面白くなってきたというのが今年の夏に
起きた変化の一つである。しかし、原書で力を使い果たして後半の日本語文献では集中できず、
ほとんどが頭を通過するだけだった。この集中力の無さが今の自分の制限であると思う。

 また、4日間中井ゼミで過ごすのはとても異様な感じだった。中井ゼミの人間は、言葉をそのまま
文字通りに受け取る。世間の人が忖度したり慮って気を使い合うことを一切せず、引っかかったら即突っ込んでくる。
それはテキトーなことを言えない緊張感でもあるが、何より自分が発する言葉に自分が意識的になる。
こう言ったらどう受け止められるだろうかと常に考える。あやふやなまま口に出した言葉には案の定突っ込み
が入り、反省して寝られなくなる。上っ面な会話は一切ない。そのような環境の中で、自分の深くから自分でも
驚くような生の言葉が出てくることがある。

 昨年の合宿で何よりも大きかったことはこの先やるべきことが決まったことだったが、今年もそうなった。
機が熟したのでやるしかない。毎年合宿に来てブレている自分を軌道修正してもらっているが、
私は「ウサギと亀」のウサギである自分を寝かさないように、外的に制限を作りながら下半期を頑張りたい。

 ※中井注 塚田さんは、ソフォクレスの『アンティゴネー』を改作し、その上演をすることになった。
そのためには自分の劇団を立ち上げる必要がある。さあ、見ものである。