5月 08

毎週月曜日のゼミを、しばらくお休みにしていましたが、5月12日から再開します。

参加希望者は早めに(1週間前まで、ただし全く初めての参加者は2週間前まで)連絡ください。
ただし、参加には条件があります。

参加費は1回3000円です。

午後5時からは関口存男著『定冠詞』を読みます。
冒頭から読んでいきます。すでに昨年に読み終えていますが、
今年の1月に『無冠詞』を読み終えて、新たな観点を持てたので、
再度、『定冠詞』を読み直します。

午後7時からはヘーゲルの大論理学・目的論の後半(ズールカンプ社版全集第6巻、445ページから)
を読みます。毎回2、3ページほどを読みます。

5月12日の後は、
19日は実施、
26日はお休みしますが、
6月2日、9日、16日と続けます。

4月 28

5月の読書会の日程が24日から17日に変更になりました。

参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで)連絡ください。ただし、参加には条件があります。

参加費は1回3000円です。

5月17日 読書会 開始は午後5時より

読書会テキスト

今西 錦司『生物の世界』 (講談社文庫 い 26-1) を読みます。
これは世界的に有名な今西錦司が、若き日に出兵前に遺書として書き残した記念的な著作です。
生物社会の構成原理を生物と環境・社会論と歴史論の面から明確にし、ダーウインの進化論を超えたと言われる「今西進化論」の基礎となる考え方が示されています。
今西生物学の所謂「棲み分け理論」をはじめとする思想的自画像風のユニークな文化論でもあります。
日本人の科学者が、その科学的世界観と論理が世界水準にあることを示した1冊。

4月 14

程塚秀雄さんが4月4日に亡くなり、8日に葬儀が行われました。
高校段階の作文教育における
「畏友」でした。
享年76歳。
16歳も年の差がありましたが親友であり、盟友であり、悪友であり、中井メソッドの広報担当であり、私の後見人でありました。

彼については一文を書くつもりです。

4月 13

5月の連休中に2日間の集中ゼミを開催します。

それにともない5月10日予定の文章ゼミは中止します。

集中ゼミに関心がある方は連絡ください。ただし、参加には条件があります。

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5月の集中ゼミ

(1)日時
4日(日曜)の午後と晩
5日(月曜)の午後。

(2)場所は鶏鳴学園

(3)初日 5月4日(日曜)
  午後 原書購読
   ヘーゲル 大論理学の目的論 
    
    ズーアカンプ社版全集の第6巻で
     436ページから445ページ上から3行目まで
     すでに436ページから443ページの中ほどまでは読み終えています。
     残りを読み終えるとともに、全体の復習と総括をします。

  晩は、文章ゼミと「現実と闘う時間」

(4)5日(月曜)
  午後 読書会
   1.関口『無冠詞』の総括
  
   2・マルクスの『経済学批判』(岩波文庫)の序説

(5)参加費
午後の原書購読、読書会は1日で5千円。2日で1万円
文章ゼミは一般参加者は2千円

4月 02

2013年に中井ゼミで考えたこと その7

6 公開の原則

    個人情報保護法が施行され、プライバシーへの配慮が強く求められるように
   なっています。これがまた、批判のあり方に大きな影響を与えているようです。

    ネット社会によって、個人の意見を公表する際に、それを実名でするかどうか
   なども、大きな問題になっています。

    私のゼミでもそうした問題が問われています。
   しかし、私のゼミの特殊な事情があるように思います。それを最初に説明しましょう。

  ○中井ゼミとの関わりを「隠す」こと
   私のゼミに参加したり、師弟契約を結ぶまでになっている人の中に、そのことを
   親や世間や所属する会社などの周囲には隠している人がいるのです。
   そういった人は、文章ゼミなどで文章を提出して批判を受けても、それを
   メルマガなどに掲載すること、ましてや実名を出すことは嫌がります。
   しかし、この問題は「公開の原則」とは本当は無関係だと思います。
   中井との関係を周囲に隠しておきたいだけだからです。
   なぜ「隠す」のかといった問題がありますが、今回は私のゼミの現状を報告するにとどめます。

    さて、私のゼミの特殊性の問題とは別に、プライバシーの尊重の名のもとに、
   公開が制限されるようになっていますが、これはどう考えたらよいのでしょうか。
   一言でいえば、それは「例外」だというに尽きると思います。

    以下、私見です。これには賛否両論があると思います。そういう性質の問題だからこそ、
   私見を公表し、参考にしてもらいたいと思います。

                                         

   「公開の原則」

  (1)公開が原則。非公開は例外。
     つまり、原則として「個人は実名で自分の考えを発表できるし、
    その根拠として、自他の固有名詞をあげてその言動を具体的に示すことができる」
     多くの人はこの逆に考えている(原則は非公開。例外として公開)が間違いである。

  (2)問題は思想の自由と表現の自由と、その責任の問題。
    プライバシー保護の名の元に、思想や表現の自由が否定されることはありえない

  (3)真理は光を求める。不正は闇を求める
    真理のためには、すべての公開が大原則
    事実、裁判になれば、問題に関連するすべて(プライバシーも)が公開される。

  (4)例外として実名を伏せたり、言動を伏せたりすることは認められる。
    ただし、それはあくまでも「例外」としてである。

   〈1〉公的言動はすべて公開が原則
   〈2〉私的言動についても
      公人(政治家、役人、芸能人など)は原則公開
      また犯罪行為などに関わっては、たとえば裁判ではすべてのプライバシーが公開
      また報道もされる
       その例外が「少年法」
   〈3〉「例外」とはその人の生前に限られる。
      死後は必要に応じて公開される。
       歴史上の人物(政治家、経済人、作家など)
 
  (5)私的言動であっても、本人の了解なしでも、書く必要があれば書くことはできる。
    そうでなければ、核心に迫ることの半分は書けなくなる。公開した人は
    その責任を取ればよいだけ。

   〈1〉書き方の配慮はありうる。仮名にするなど。
   〈2〉「責任をとる」とはどういうことか
     社会的(当人を含む)な説明責任と、当人からの名誉棄損などの訴えに対応すること
     それ以外に社会的な責任はない。

  (6)役人や組織人は、組織の意向とは別の自分の意見を公開できないのか。
    意見を発表したいなら、公開できるようにするのが正しい
    個人の意見と役所(組織)の見解は違うのが当たり前
    仕事としては、役所の指示(決定)で動くのが当たり前
    個人的見解とのズレが常時だから、そのズレが、国民や外部にも公開されている方が良い

  (7)鶏鳴学園の中学・高校生のクラスでは、授業に関して提出された
    すべての文書がクラス内では公開される原則で運営されている。これは「教育」の
    ためである。ただし、クラス外への持ち出しは、本人の了解が必要としている。
     この原則は塾の説明会でも説明し、学期の冒頭でも説明し、周知徹底をはかり、
    メンバーの了解の上に運営している

  (8)ネット社会になって誰もが「公開」=「思想の自由」について考える機会が
    与えられたことに意味がある。私のゼミでは公開の範囲としてメルマガとブログの
    読み手の範囲(時間的、空間的)の違いをどう考えるかが問われている。

  (9)個人情報保護法は、営利企業を対象にしたもの
      教育機関は想定されていない。

  (10)学生と社会人における基準の違いも考えるべきか?

  (11)先生と生徒が、論文を発表する際に、オリジナルや著作権をめぐる争いが起こる。
     生徒のオリジナルを先生が奪い、自分の論文として発表することは多い。
      先生の指導がある場合、生徒の作品の中に、それぞれのオリジナル、著作権は
     どう考えられるか
     ※これは公開の原則に直接関わらないが、いずれ私のゼミでも問題になること
      なので、出しておく。