ヘーゲル『精神現象学』「自己意識」
一昨年(2009年)の夏の合宿では、ヘーゲル『精神現象学』の
第1部「対象意識」を、昨年(2010年)の夏には第2部「自己意識」を読んだ。
今回、「自己意識」論を読んで考えたことをまとめた。
使用したのは、牧野紀之の訳注(未知谷)と金子武蔵の訳注(岩波版全集)である。
ページ数は牧野紀之の訳注(未知谷)から。
■ 全体の目次 ■
一.ヘーゲル『精神現象学』の第2部「自己意識」論の課題
二.形式の課題の(1)(2)(3)の答え
1)ヘーゲルは「逆算」して書いている
2)対象意識と自己意識の順番と関係
以上(→その1)
3)自己意識論をなぜ、欲求や生命から始めたのか
4)人間の羞恥心と狼少年
以上(→その2)
三.主と奴
(1)冒頭
(2)承認
(3)主と奴
→ 以上(その3)
四.自己意識の自由
(1)主と奴と「ストア主義と懐疑論」
(2)ストア主義も懐疑論もともに抽象的で一面的
(3)不幸な意識
(4)不幸な意識の展開
(5)どうしてここから理性が出るか、精神が出るのか。主体性の確立。
→ 以上(その4)
五.竹田青嗣(たけだ せいじ)をどう考えるか
(1)「精神現象学」派と「論理学」派
(2)竹田による「自己意識論」の解釈
(3)竹田の限界
→ 以上(その5)
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ヘーゲル『精神現象学』「自己意識」その4
四.自己意識の自由
(1)主と奴と「ストア主義と懐疑論」
┏主と奴は、事実(偶然)の承認関係。
┗ストア主義と懐疑論は、思考による承認関係。
だから思考を出す。353ぺージ
┏主と奴 偶然性による上下関係。親子関係、親分子分関係。選択ができない。
┗ストア主義以降。思考の自由。上下関係の否定。しかし反抗であって自立ではない
思考の自由は、上下関係そのものの否定にはならない。
選択による上下関係がなくなるわけではない。「先生を選べ」、信仰など
→これは「不幸な意識」以降で問題になる。
(2)ストア主義も懐疑論もともに抽象的で一面的
【1】ストア主義は抽象的正義のこと。外的反省
若い時の表面的、一面的な正義感。
内実がない。個別具体的なものはない → 若い時の特徴。
【2】懐疑論はこれへの反発
否定の対象があるから、具体的ナカミがある。
しかし一面的になりやすく、豊かな内容があるのではない
否定はできても、肯定(代案)がない。若者の特長。
┏ nicht ?
┗ sondern ? ← これを出せるかどうかが自立の核心
この懐疑論への反発から、ストア主義に戻ることもある。
(3)不幸な意識
【1】「不幸な意識」には、牧野紀之の注解がほとんどない。
このムラの大きさが牧野らしい。
例として「先生を選べ」を出すべきだし、弟子相互の関係、
集団としての側面を出すべきだった。
牧野の定式化した「先生を選べ」は、ここ以下の問題の解決策なのではないか。
【2】「先生を選べ」の矛盾
「ストア主義」と「懐疑論」は一応自分に自信がある段階。
不幸な意識とは、自分への自信を失った段階。ここで再度、主と奴の上下関係の問題が出る。
自分の低さに気づいた時にだけ、次のステップへ進む可能性が生まれる。
それは「先生を選ぶ」(先生=ある思想、立場、宗教、政治などの組織)ことになる。
ここで再度、上下関係が出てくるが、これは主と奴のような偶然的なものではなく、
客観的で社会的な基準で選択されたものになっている。
しかし、「先生を選べ」には矛盾する両面がある。自立(自己肯定)のために、
徹底的に自己否定することが求められるからだ。
そこで先生や組織に依存したり、自己否定を競い合うようなことがおこる。
この問題を、ヘーゲルは論理的に解き明かそうとしているのだと思う。
この問題については、竹田青嗣が実に鮮やかに説明している。
それは五.で取り上げる。
(4)不幸な意識の展開
その1.ユダヤ的
自己への絶望。より上の他者。
↓
その2.キリスト教
【1】上を上としてあこがれ従うが、自分がそうなろうとはしない。
分裂がある
「先生の言うことをおとなしく聴く」
【2】欲望と労働。これは何か。ここに主と奴の関係の逆転の契機があったはず。
感激と自己放棄による統一
しかし、それがエゴがあるので完全にはできない。
↓
その3.ここで教団が媒介する。
あまりにも叙述が抽象的で、平面的。
ツッコミがなく、平板。
媒介としての教団の矛盾。意義と限界もキチンと出すべき
教団は神と個人の1対1の関係に立ち入れない。
それを互いに支えようとするだけ
(5)どうしてここから理性が出るか、精神が出るのか。主体性の確立。
「他者本位」から「自己本位」(私が真理)へ
夏目漱石の『私の個人主義』で言えば、それまでの「他者本位」を克服し
「自己本位」の立場に立った段階であり、それが「主体性」=「理性」の段階だろう。
これは、いかに高い大変な段階かがわかる。ほとんどの人はこの段階まで進めないだろう。
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