4月 06

ヘーゲル論理学の「現実性」について私見をまとめました。
この論考の準備にとりかかったのは2015年の正月でしたから、それからもう1年以上も過ぎたことになります。
その経緯については「はじめに」をお読みください。
本稿は長いし、難しいと思います。「3.ヘーゲルの外的必然性と内的必然性」だけでも読んでみてください。
何かを感じてもらえると思います。

■ 目次 ■

ヘーゲル論理学の「現実性」は、本来どう書かれるべきだったか 中井 浩一

はじめに
1.牧野紀之の改定案
2.牧野紀之の改定案への疑問と『弁証法の弁証法的理解』について
※ここまでを本日に掲載。

3.ヘーゲルの外的必然性と内的必然性
(1)外的必然性
(2)内的必然性
(3)概念(自由)の生成
(4)ヘーゲルの「現実性」を書き直す
※ここまでを4月7日に掲載。

4.ヘーゲル論理学の第2書「本質論」第3編「現実性」の役割
5.ヘーゲルの意図について
(1)ヘーゲルの意図
(2)代案の根拠
(3)ヘーゲルの側の事情
※ここまでを4月8日に掲載。

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◇◆ ヘーゲル論理学の「現実性」は、本来どう書かれるべきだったか 中井浩一 ◆◇

はじめに

2015年の正月は、ヘーゲル論理学の第2書「本質論」の第3編「現実性」を読むことになった。
牧野紀之がこれに言及しているのを読み、それに大いに刺激を受けたからだ。
第3編「現実性」はヘーゲル論理学の核心だと思うが、牧野はそれの改訂という大胆な提案を行なっていた。
私が刺激を受けたのは、その大胆さだけではない。
なによりも牧野の提案のナカミが、私の考えとはずいぶん違っていたのだ。
私はこの際、自分の考えをまとめたいと思った。

その論考は2015年の2月には一応書き上げたのだが、外的必然性と内的必然性の区別、特に内的必然性の
理解が不十分なことを痛感していた。
偶然性と必然性の関係については、これまでに論理学の該当個所を何度も読んで考えてきた。しかし、今一つ
分からないままにあった。それが15年の夏の合宿で、ハッキリとつかむことができたように思う。

ヘーゲルは、偶然か必然かを、自己の根拠を自己の中に持つか、他者の中に持つか、で区別している。しかし
本当の核心は、その根拠をその対象内に持つか、否か、なのだとわかった。
それは言い換えれば、「内に」か「外に」かであり、それは「自己の中」か「他者の中」かの違いと言える。
だからヘーゲルの表現は間違っていないのだが、私にはその表現ではわからなかった。それが今回はわかった。

例えば、ヘーゲルの『小論理学』第24節の付録3では創世記の失楽園の物語が取り上げられるが、そこに
「原罪があるから救済が必要だ」といった表現が出てくる。これは普通の言われ方なのだろう。しかしそれは
まさに偶然性の立場である。必然性の立場なら、「原罪の中にこそ、そこからの救済がある」と言わねばならない。
救済と原罪は別のものではない。相互外在的に存在するのは偶然性である。
悪と善も、別のものではない。悪でないこと、悪がないものが善ではない。悪があって、善もあるのでもない。
悪があるから善があるのでもない。悪の中にこそ、善はあるのだ。善の中にこそ、悪はあると言っても同じだ。
これは神がつくった世界の中になぜ悪があるのか、という問いとも関係する。神はなぜ悪を作ったのか。
この世界を、自ら発展して自己実現していく主体的なものとしたかったからだろう。偽や悪の中に、真理も善も
あるという、世界観だ。

こうして、1年がかりとなったが、2016年の正月に自説の骨格をまとめることができた。慶賀である。
それに肉付けしたのが本稿である。

1.牧野紀之の改定案

牧野のブログの「私の研究生活」(2014年10月24日)には以下が書かれている。
寺沢恒信訳『大論理学2』(本質論初版)の「付論」で寺沢は「〔本質論の〕再版が書かれていたらどうなって
いただろうか」という問題を立てた。寺沢の結論は「再版が書かれたとしても『現実性』は初版とほとんど違わ
なかっただろう」。寺沢がヘーゲルに追従的であるのに対して、牧野はヘーゲルの本質論初版の展開を批判し、
それに代案を出す。

第1章はスピノザ論だとし、それを第3部の最初に置いたのは「ヘーゲルとしては、スピノザの実体・属性・様態の
概念をどこかで扱いたいというか、扱わないわけにはいかない、と考えたのでしょう。しかしどこにどう位置づけ
たらよいか、自信が持てなかったので、ここに置いたのだと判断しました」。第1章を軽く見る点では、私も大きな
違いはない。

問題は第2章(可能性と現実性、偶然性と必然性)と第3章(実体性と因果性と相互作用)の順番と関係なのだ。
牧野は「再版でどうなったか」は分からないと断った上で、牧野なら第3編「現実性」を偶然性と可能性と必然性に
三分し、最後の必然性の下位形態として実体性と因果性と相互作用の3つを置く、と言う。そして、相互作用から
「世界の一般的相互関係」を引き出して、「概念(の立場)」を導出する、と述べている。

牧野が、必然性の下位形態として実体性と因果性と相互作用の3つを置く理由は、「ヘーゲルは因果等の必然的関係を
どうしたら証明できるかと考えた」からだ。そして、「カントの答えでは満足できなかったヘーゲルは、
『1つのものの2つの部分ないし側面』と理解しなければ『必然的関係』は証明できないと気付いたのです
(一番分かりやすい例を出しますと、作用と反作用は1つの力の2つの発現形態ですから、同じになるに決まっている
わけです)」。

牧野は自分の代案について、「要するに、『弁証法の弁証法的理解(2014年版)』の第4節(この「第4節」は
「第2節と第3節」の間違いだと思う。中井)のように」するのだと言っている。この点を確認するために、
牧野の『弁証法の弁証法的理解(2014年版)』も読んでみた。ここでは必然性に2種類あり、それは外的必然性
と内的必然性だとする。そして、外的必然性=相対的必然性=偶然性=可能性=根拠とし(「要するに、外的必然性
と偶然性と可能性と根拠とは、どれもみな、同じ一つの事態を別々の角度から見たものにすぎない」)、
それに内的必然性=絶対的必然性を対置する。外的必然性で考える立場は「悟性」=「有限な思考」であり、
内的必然性で考える立場が「理性」=「無限な認識能力」だとする。
「内的必然性とは何か。『AがあればBが結果する』というのが外的必然性であった。それは又『Aがあっても
同時にCがあればBは結果しない』ということでもあった。従って、或る事物の『内的必然性』とは、もはや、
或る対象の存在を前提してその原因を探るのではない。それの存在する必然性を追求するのである。或る原因が
あればその対象が生まれるだろうというのではない。その対象が自分の内なる本質によって『必ず生成する』と
いうのである。即ち『生成の必然性』である。だからこそ、それは又因果の必然性のような相対的必然性との対比
では『絶対的必然性』とも言うのである」。
「それはどのようにして可能なのか。もちろん、その対象と関係した全ての事柄を見る以外にない。
部分を見ただけでは、それの生成を妨げる他の要因を見落とす可能性があるからである。しかも、『全体を見る』
と言っても、それを『静止した全体』としてではなく、『歴史的に発展する統体』として見なければならない。
即ち、歴史的な見方であり、同時に一元論的な考え方である。二元論や多元論では或る事柄の生成の必然性は
絶対に証明できない。従ってヘーゲルの弁証法はその本性そのものによって相対主義や多元論とは無縁である」。
以上が牧野の説明である。

2.牧野紀之の改定案への疑問と『弁証法の弁証法的理解』について

外的必然性と内的必然性の理解において、私は牧野には賛成できない。それについては後述するが、
『弁証法の弁証法的理解』を読み直して、その叙述方法にも疑問を感じた。その叙述が悟性的なものではないか
ということだ。必然性に2種類あることを述べ、外的必然性に内的必然性を対置する。しかし本来は、外的必然性
から内的必然性を必然的に導出するのが「生成の必然性」にかなった展開ではないか。4節の能力の話も、3節までの
展開からの必然的な導出になっていないと思う。
それは牧野が「私の研究生活」で示した代案でも同じで、そこに発展の論理の説明がないのは不十分だと思った。
それでいて、突如として「発展」という用語が出てくる。「『全体を見る』と言っても、それを『静止した全体』
としてではなく、『歴史的に発展する統体』として見なければならない」。これは恣意的で偶然的な叙述であり、
必然的な展開ではない。

「私の研究生活」の代案でわからなかったのは、牧野の2つの必然性の理解と、第3編「現実性」を「偶然性」
と「可能性」と「必然性」に三分し、最後の「必然性」の下位形態として実体性と因果性と相互作用の3つを置く
という考えの関係だ。外的必然性=相対的必然性=偶然性=可能性に、内的必然性=絶対的必然性を対置する牧野は、
第3編「現実性」の「偶然性」と「可能性」をどう展開するのだろうか。その両者が外的必然性を成しているなら、
内的必然性の下位形態として実体性と因果性と相互作用の3つを置くことになろう。しかし因果性を牧野自身は
外的必然性=相対的必然性としている。牧野の提言の内容がよく理解できない。

それにしても、今回『弁証法の弁証法的理解(2014年版)』を見て、「2014年版」とあるのに驚いた。
旧版の「弁証法の弁証法的理解」は、1971年に『労働と社会』に収録され、その30年後の『西洋哲学史要』
(波多野精一著、牧野再話。未知谷刊、2001年)にも転載されている。30年間、その基本の考えに変化がないと
いうことだろう。それが今回改訂された。「2014年版」は「特にその第四節に満足できなく成りましたので、
そこを主にして書き換え」たものだという。
何が変わったのかが気になり、旧版との違いを確認した。内容は大きくは変わっていない。2節と3節がそれぞれ
外的必然性と内的必然性に対応しているのは同じだ。最後の4節に「能力としての弁証法」を詳しく書いたのが
大きな変更点だ。ついで3節の内容が詳しくなっている。
私は旧版をこれまでに何度も読んできた。この約40年も前に書かれた文書の内容が、今も大きな変化なく、
牧野の基本的立場の宣言書であり続けていることにまず感心する。それほどに、牧野は早いうちから完成していたのだ。
それは逆に言えば、その後に大きな変化・発展がないとも言える。しかし、2014年版を出したことは、今も改訂
し続ける姿勢を持っていることを示す。

なお、「私の研究生活」で、牧野はヘーゲルの「現実性」における「実体」と言う用語にも言及している。
「この『現実性』には2つの『実体』が出てきます。これをどう考えるかも問題ですが、そう難しくはありません。
スピノザ的実体は、『宇宙の実体は何か。物質的なものか精神的なものか』といった場合の『実体』です。
これを『宇宙論的実体』と名付けましょう。もう一つの『実体』は『機能』に対立する実体です。機能や性質の
担い手としての実体です。Substanzen(諸実体)という複数形が出てくるのはそのためです。これを『個物的実体』
と名付けましょう」。
こう指摘されると、私にはこの区別があいまいだったことがわかる。ここからは学んだ。

つづく。

3月 31

東京国立博物館で4月28日(火)?6月7日(日) 特別展「鳥獣戯画―京都 高山寺の至宝―」が開催される。
国宝「鳥獣戯画」の実物を見るチャンスだ。

実は、この特別展は、昨年秋に京都で開催されていた。
それの巡回なのである。

私は昨年、京都にこの展覧会を見に行った。
そこで感ずるところがあり、それをきっかけに、考えたことをまとめた。

それはすでに昨年2014年10月28日のブログに掲載した。

本日、再度、掲載しておく。

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高山寺明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」 中井浩一

2014年10月16日に、京都博物館で「国宝鳥獣戯画と高山寺」展を見た。
高山寺の明恵上人を改めて強く意識した。
鳥獣戯画が高山寺に残された背景に、明恵が存在していることを意識したからだ。

明恵については以前から気になっていた。
河合隼雄が『明恵 夢を生きる』を出していて、
明恵が青年期から晩年まで膨大な夢日記を残していることを知っていたからだ。

今回の展示で、
明恵が傍らに置いていたイヌやシカの彫刻も愛くるしかったし、
聖フランチェスコのような「樹上座禅図」(明恵が自然の中で、リスや鳥たちに囲まれて座禅をしている)も面白かったし、
「仏眼仏母像」(明恵が身近に 置いた持仏像で、亡くなった母と仏が重なっている)も鮮烈だった。

展示の中で気になったのは、
明恵が周囲に置いていた画僧と協力して華厳宗の新羅の2人の坊主を主人公にした2つの絵巻(国宝です)を作っていたことだ。
なぜ、中国の偉い僧でなく、新羅の僧なのか。

帰ってから
白洲正子の『明恵上人』
河合隼雄の『明恵 夢を生きる』
上田三四二『この世 この生』の「顕夢明恵」
を読んだ。
いずれも面白かった。

新羅の2僧は、明恵の自己内の2つの自己なのだとわかった。

今回、初めて華厳宗に触れた。
華厳宗についてはまだ不明だが、
「あるべきようわ」を問う明恵には、強く共振するものがある。

「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」は明恵の座右の銘であり、「栂尾明恵上人遺訓」には以下のようにある。
 「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)の七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり」。

 河合隼雄は『明恵 夢を生きる』で次のように説明する。「『あるべきようわ』は、日本人好みの『あるがままに』というのでもなく、また『あるべきように』でもない。時により事により、その時その場において『あるべきようは何か』と問いかけ、その答えを生きようとする」。

「あるがママ」でも「あるように」でもない。
他方で、「あるべきように」でもなく、
「あるべきようわ(何か)」という問いかけである。

「ある」=存在 を問うことが、生き方(当為)を決める点が、真っ当だと思う。
「ある」といっても、ただの現象レベルが問題になるのではない。
存在の本質に迫ろうというのだ。そのためには、現実や自分や他者に働き掛けつづけなければならない。

「あるべきようワ」という表現には、「あるべきよう」を自他と現実社会に問いづけ、存在=現実=理念の形成を促し、その中に参加し、没入しようとする、明恵の姿勢がはっきりと示されている。

存在と現実と理念が1つであること、
夢(無意識)と現実(意識)が1つであること。
明恵はそれをよく理解し、それを生きたようだ。
つまり理念を生きたと言えるだろう。
私はヘーゲルを思っていたが、
その点になると、
河合はバカな二元論者になってしまうと思った。

明恵は栄西などの宗教者だけではなく、西行とも親しかったようで
すごい歌がある。

あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかあかあかやあかあかや月

これはまさに
言葉が生まれるところから
生れていると思う。

2014年10月28日

12月 06

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その6)  中井 浩一

■ 目次 ■
第7節 歴史と先人から学ぶこと
1.「労働商品」という矛盾
2.不生産的労働と生産的労働
3.矛盾から逃げない人
4.歴史から学ぶ 過去の遺産を継承発展させる
5.工業化の時代という限界
6.「学者バカ」マルクス

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
『剰余価値学説史』については国民文庫版を使用した。
1巻の15ページなら《1?15》と表記した。引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけた。

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第7節 歴史と先人から学ぶこと

スミスをマルクスがどうとらえていたか、スミスからマルクスが何を学び、何を乗り越えようとしたのか。
そのマルクス自身による説明は、マルクス著『剰余価値学説史』の第3章に詳しい。
ここではスミスがあらゆる面において二面性を持っていることを示し、
直接には労働価値説から2つの価値規定(矛盾)を示し、そこから剰余価値を導き出している。
これが後に『資本論』第1巻としてまとまる。

第4章は『国富論』の第2篇から不生産的労働と生産的労働をテーマにし、
スミスおよびスミス以降の論争を取り上げている。
しかしその論争参加者を「二流どころ」だといい、「
重要な経済学者はだれも参加していない」という《2?49》。
3章のテーマこそが核心で、4章のテーマは補足的なものだと考えているのだ。
したがって、まず第3章を検討する。

1.「労働商品」という矛盾

マルクスは、スミスの「労働商品」という矛盾(労働価値と労働者の生活費としての賃金のズレ)を、
「剰余価値」を示すことで解決したと考えている。
言い換えれば、資本家による賃金労働者の搾取と両者の絶対的な対立構造のことだ。
そして、この「剰余価値」(資本家の搾取の秘密)の発見が自分の経済学への貢献だと見ていた。
つまり、スミスを発展させたのが自分だと考えていたのだ。

マルクスの「剰余価値」の発見の前提はすべてスミスにある。スミスがすべてのおぜん立てを整えてくれていた。

 『国富論』第1編には、交換価値と使用価値(4章。【1?51】)、
労働価値説(5章。【1?53?58】)、最低賃金の意味(8章。【1?116】)。

ここで、すべての商品の中で、労働力という商品だけが、使用価値と交換価値が一致しないことが
潜在的に示されている。その矛盾を全面的に展開して見せたのがマルクスである。つまり、スミスが
矛盾を示したからこそ、マルクスがそれを解決できたのである。

マルクスは、スミスが労働価値一般と労働力という商品の矛盾を把握していたことを高く評価する。

「A・スミスは、諸商品の交換を規定する法則から、外観上はそれとまったく対立し矛盾する原理に
基づく資本と労働との交換を導きだすのに、困難を感じている。また、資本が、労働能力にではなく
労働に直接に対置されるかぎり、その矛盾は解明されるはずもなかった。労働能力がその再生産と
維持とのために費やす労働時間と、労働能力そのものがなしうる労働とが非常に違うということは、
A・スミスにはよくわかっていた」《1?112》。

そして、矛盾がわかっていながらも、労働価値説そのものを堅持し続けたことも評価するのだ。

「しかし、こうした不確実さや、まったく異質的な諸規定のこうした混同が、剰余価値の性質や
源泉に関するスミスの研究を妨げていないということは、それに続く叙述によってわかるであろう。
というのは、彼は事実上、意識していなかったにしても、彼が議論を展開している箇所ではどこでも、
商品の交換価値の正しい規定?すなわち、商品に費やされた労働量または労働時間によるそれの規定?
を固持しているからである」《1?109》。

マルクスの批判は、スミスが矛盾を一般的な形では示せず、特殊な形態の話としてごまかした点にある。

「A・スミスは、剰余価値、すなわち、遂行された労働でしかも商品に実現されている労働のうち、
支払われた労働を越える?その等価を賃金で受け取った労働を越える?超過分たる剰余労働を、
一般的範疇としてつかみ、本来の利潤および地代はそれの分身にすぎないとしているのである。
それにもかかわらず彼は、剰余価値そのものを独自の範疇として、それが利潤や地代として受け取る
ところの特殊な諸形態からは区別しなかった。このことから、彼の研究上に多くの誤りと欠陥が
生じている」《1?53》。

だから、マルクスは逆に、矛盾を普遍的な形で示すことを目的とする。
そのためには、スミスがしたように労働価値一般を普遍的な実体としてしっかりと展開し、
その上で労働商品の特殊性を一般的に示すことになる。実際にそれを行ったのが、
マルクスの『経済学批判』(岩波文庫)の第1章「商品」や『資本論』における商品、資本の展開だ。

マルクスは最初に交換価値の普遍的な運動を示し、次に「労働という商品」の特殊性を示すという2段階を用意し、
第1段階の普遍性を徹底的に明らかにしようとする。それによって、労働という商品の特殊性が浮き上がるからだ。

 第1段階では、商品の交換価値=商品に費やされた労働量(労働時間)を示す。ここから貨幣の成立を導き出す。

 それを踏まえた上で、「労働」という商品の特殊性(労働量に比例した交換ではないこと)を
徹底的に明らかにする。それが「剰余価値」の発見になる。

2.不生産的労働と生産的労働

 さて、こうしたマルクスの立場に立てば、不生産的労働と生産的労働の問題の回答はすでに出ている。

 スミスでは、この区別の基準は「価値を作る」物、つまり市場で「交換される」商品になる物か
どうかである。したがって、それは内容上での区別になる。しかし、商品かどうかに、本来は内容は
一切関係ない。可能性としてはすべてが商品になるからだ。それが現実化するかどうかは条件(偶然性)
次第であるにすぎない。「可能性からいえば、これらの使用価値もやはり商品である」《2?31》。

 結局、資本(剰余価値)のための労働か否かという形式面での区別をするしかない。
家事労働をスミスは非生産的労働としたが、現代では家事のすべてが商品化されている。
日常の食事もデリバリで配達する。妊娠や出産までがビジネスになる。その時それらのすべてが「生産的労働」だ。

ちなみに、私は家事労働が非生産的労働だという主張で、「専業主婦」が気になった。
主婦の位置、家庭の位置が気になる。梅棹忠夫の「主婦不要論」が大きな論争を巻き起こしたのはなぜだったのか。
専業主婦とは歴史的存在で、大家族制度の下では存在しなかった。
それは高度経済成長下の核家族の成立下で生まれた、極めて特殊なものだったのではないか。
「扶養者控除」「配偶者控除」が設けられ、専業主婦の家庭には税金が控除されるとした法律は、
その事態を確認するものだろう。

なお、マルクスが資本家は本質的にはケチであり《2?251》、
それは資本家が「資本の機能者」《2?40》「人格化された資本」《2?251》だからだと説明する。

「資本家の本質は資本」というマルクスの主張には納得だった。
彼らは資本の論理で生きていて、それに支配される。したがって、ケチなのだ。原理的にケチなのだ。
それ以外には生きられない。しかし、ケチの素晴らしさもあったのではないか。

3.矛盾から逃げない人

 さて、スミスとマルクスの関係だが、マルクス自身が、スミスが矛盾を明確に示したので
自分がそれを解決できた、と証言している。だからマルクスはこの点でスミスを高く評価している。
それはスミスが経済学の説明で自己矛盾を示し、後に大きな課題をもたらしたからだ。

「A・スミスの諸矛盾がもつ重要さは、それらが、いろいろな問題を含んでいるということである。
その問題を、〈彼はなるほど解決してはいないが、しかし自己矛盾をきたすことによって表示している〉。
この点における彼の正しい本能は、彼の後継者たちが相互に、あるときは一方の面を、
あるときは他方の面を取りあげているということによって、最もよく証明されている」《1?252》。

それはスミスが矛盾に直面した時に、そこから逃げないことへの評価である。
矛盾に当惑し、煩わされることができた、として評価するのだ。。

「A・スミスの偉大な功績は、彼がまさしく、第1篇の諸章(第6,7,8章)において、
単純な商品交換とその価値の法則から、対象化された労働と生きている労働とのあいだの交換に、
資本と賃労働とのあいだの交換に、利潤および地代一般の考察に、要するに剰余価値の源泉に移るさいに、
ここに〈一つの裂け目の現われることを感知している〉こと、すなわち ?どのように媒介されるにせよ、
といっても、この媒介を彼は理解していないのであるが ? その法則が結果においては事実上廃棄されて、
(労働者の立場からは)より多い労働がより少ない労働と、(資本家の立場からは)より少ない労働が
より多い労働と、交換されることを感知していること、そして、資本の蓄積および土地所有とともに?
したがって労働条件が労働そのものにたいして独立化するとともに?1つの新しい転換、外観的には
(そして実際には結果として)価値法則のその反対物への急転、が生ずることを、
彼が強調し、そしてこのことのために〈彼が文字どおり当惑している〉ということ、である」《1?141》。

それはどういうことか。多くの人は、矛盾に直面すると、それに耐えられず、
安易な解決でごまかすということだ。マルクスはリカードをそうした例に挙げている。

「リカードがA・スミスよりすぐれているのは、これらの外観上の、結果的には現実の矛盾によって
惑わされていないことである。彼がA・スミスより劣っているのは、ここに一つの問題のあることに
まったく気づいていないということ、したがって、価値法則が資本形成とともにとるところの特殊な発展によって、
ほんの一瞬のあいだも当惑させられることなく、煩わされもしていないということである」《1?141》。

リカードは普遍的な原理として考えていた。
頭の良い人は、ほとんどがそのように抽象化で大きな概念で包み込み、矛盾が見えないようにする。
または小器用な理屈付けで、ごまかそうとする。スミスは違う。
一般化をせずに、最後まで矛盾を手放さない。非常に要領が悪く、頭が悪いように見える。
破綻を破綻のままに放置していて平然としている。

リカードとスミスの違いの核心は、スミスが資本主義社会の段階の特殊性に気づいていたということだろうが、
それは歴史的視点を身につけていたからか?スコットランド学派の影響か? 
否、そうしたことよりも、スミスは自分の実感(おかしい)に忠実で、それを誤魔化すことはできなかったのだ。

 私は、ヘーゲルのカント批判(評価)を思い出した。
ヘーゲルは、カントが矛盾を徹底的に押し詰めて「絶定的な矛盾」として示したことから、
初めてそれを逆転させることができた。大論理学の目的論のカント批判を読むと、それがよくわかる。
カントの「頭の悪さ」はカントの真実への誠実さの表れである。
カントは自分の理論がきれいに整うことなど眼中にない。ぶざまでも平気なのだ。
それが真理に誠実であることならば。
こうしたスミスやカントのような存在を知ると、世間の多くの人は、
その反対の頭の良い人ばかりであることに気づくだろう。

4.歴史から学ぶ 過去の遺産を継承発展させる

スミスやマルクスが、自分の思想をどのように作り上げたかを知れば知るほど、
歴史や先人から学ぶことの重要さを改めて噛みしめることになる。
人は、過去の遺産に学び、それを継承発展することができるだけなのだ。

マルクスも、過去の先人たちの検討から自説を出しただけだ。
マルクスが『資本論』を執筆するまでの過程の順番は、実際の篇別構成とは逆になっており、
経済学史の研究(「剰余価値学説史」)から始まっている(マルクス・エンゲルス全集編集部の「序文」から)。

学問は先人たちの蓄積の上にあり、それを発展させることしかできない。
それができるかどうかだけが勝負なのだ。マルクスはスミスが示した矛盾を解決するために、
「剰余価値」を発見し、それだけを自分の功績だとした。

 それはスミスも同じだ。
スミスの大前提には、交換価値と使用価値の対立、交換価値が貨幣に集約されるという考えがある。
それは、すでにアリストテレスが指摘しているのだ(アリストテレス『政治学』第1巻の9章)。
また、最低賃金が労働者の生活維持と再生産のコストだという指摘も、スミス以前の重農主義のものだ《1?106》。
スミスはアリストテレスにはできなかった労働の価値一般を定式化できた。
労働力という商品の矛盾を示すこともできた。こうした前提の上に、マルクスが『資本論』を残すことができた。

5.工業化の時代という限界

 人はすべて、自分の時代の限界、発展段階の限界を越えることはできない。
スミスにもマルクスにも、同じ限界がある。
彼らが生きたのは、工業化が課題の中心だった時代だということだ。それを相対化することはできなかった。

つまり、工業化によって均一の単純労働が、労働の中心になり、賃金労働が労働の中心になった。
「スミスの表現からその素朴な言い方を取り去ってしまえば、彼が言っていることは、次のことにほかならない。
すなわち、資本主義的生産は、労働条件が一階級のものになり、労働能力の自由な処分だけが
他の一階級のものとなる瞬間から始まる、ということである。」《1?123》。

これが実現していたからスミスやマルクスの考えが成立した。
しかし、それは農業の没落の上に成立した。農業の真理が商工業であった。
その「工業」の歴史的位置、その意義と限界が、2人には見えなかった。
マルクスにはスミスの農業論、都市論、工業・商業論の限界を指摘できなかった。2人は、同じ段階に立っていたからだ。

これは当時の工業化が未発達で、資本主義社会としても未完成の段階だったことからの必然的な結果でもある。

6.「学者バカ」マルクス

今回『剰余価値学説史』を読んで、マルクスへの大きな疑問を持った。
マルクスは瑣末な詮索に熱中し、本当にすべきことをおろそかにしたのではないか、
社会主義革命運動の全体像や自分の課題の意味を見失いがちだったのではないか、ということだ。

『剰余価値学説史』では、核心的な問題の3章よりも、周辺的な問題だと自分で言っている4章の方が長大である。
その4章ではスミスに言及しているのは60ページほどで、他のバカたちについて200ページも言及する(文庫版)。
バカを相手にしてどうするのか。

マルクスは、学説史の研究で大きな論点だけを押さえたならば、さっさと『資本論』を完成するべきだった。
そして運動上の問題や組織の問題に取り組むべきだった。それらができなかったことは、
マルクスの生き方として大きな問題ではないか。マルクスにも「学者バカ」の側面が強固にあったのではないか。

2014年11月7日

12月 05

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その5)  中井 浩一

■ 目次 ■

第6節 国家の発生から近代国家が生まれるまで
(1)狩猟採取→牧畜→農業
(2)国家の発生
(3)産業構造の発展と王権の拡大
(4)近代国家の成立

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。

=============================

第6節 国家の発生から近代国家が生まれるまで

 『国富論』の後半は重商主義批判がテーマだ。
その中心は海外の植民地問題であり、アメリカの独立問題だ。
ここから資本主義社会一般の問題ではなく、国家間の対立が前面に出ることになる。
ここでは、スミスが自分の依拠する重農主義を十分に消化(止揚)できないでいたために、混乱も多い。

 第3篇は、重農主義が正しく、重商主義が間違っていることを歴史的に示そうとしたものだ。
スミスは「資本主義の発展の、自然な経路と不自然な経路」と称し、
つまり農業生産力の増大からはじまる国内市場=農工分化の展開と、
外国貿易とそのための工業とが農業の発展に先行するばあいとを、対比させる。
そして一方では、自然な経路にしたがった北アメリカの経済的発展の急速さを強調し、
他方では、ヨーロッパの不自然な経済政策が経済的発展を阻止したことを指摘する。

これは重農主義に引きずられたバカげた主張だ。
発展段階の違うアメリカと西欧を比較するのが、そもそもおかしい。
アメリカは極めて特殊で、今まさに農業が本格的に始まった世界だ。
古い歴史の中で、今の段階を迎えている西欧と比較することには意味がないだろう。

 また第5篇も、国家の財政論であるにはちがいがないが、
第4篇の重商主義の破綻の説明の補強の意味があった。
そのために、正面から近代国家の本質を問う形になっていない。
そのために、第5篇は非常に欠落が多いものになっている。

近代国家を正面から論じたヘーゲルの『法の哲学』と比較すると、何が欠けているかがよくわかる。
立法、行政、司法の内、きちんと論じているのは司法だけなのだ。
行政組織、官僚組織の問題についてはゼロに近い(【3?60ページ以降、63ページ以降】に少し触れている)。
ヘーゲルは行政組織の問題をしっかりとらえている。

スミスは、近代国家そのものを問わなかったために、近代国家と支配階級の関連を問うこともできなかった。

スミスは本来は、『国富論』後半で「近代の国家とは何か」を正面から論ずるべきだったのだ。
西欧の歴史から、原初的な国家の発生、さらに近代国家が生まれるまでを産業構造の変化と関連付けて
説明すればよかった。そうすれば、その中に、重商主義、重農主義、スミス自身の理論の生まれた必然性を
説明できたはずだ。それができれば、第4篇ではよりわかりやすい説明ができたろう。

しかしである。
しかし、それにも関わらず、後半で、スミスは事実上は近代国家の成立過程を問題にしているのだ。
それがスミスの大きさだ。

第3編の論旨はバカげているものの、その内容は大いに面白かった。
自由都市が生まれた過程、王権の確立との関係、農業社会から商業、工業の社会への変遷など、
考えるべきことが多い。この第3篇や第5篇の一部に、近代国家の成立を解き明かすための材料は
豊富に用意されている。それをもとに、整理し直してみたい。

近代国家の成立をテーマにすれば、本来の展開は次のようになるだろう。

(1)狩猟採取→牧畜→農業
  これはあらゆる箇所で触れられている
(2)国家の発生
  国家は「牧畜」の段階で富者を守るために生まれる
   5編1章の1節、2節
(3)産業構造の発展と王権の拡大
  農業→商工業→マニュフアクチャー(大工業への発展の芽)
   3編の都市と農村
(4)近代国家の成立
  これが明確に示されている箇所はない

ここで(2)と(3)に該当する内容から、学ぶべきことを整理しておく。

(2)国家の発生
農業段階ではなく、牧畜の段階で貧富の格差が拡大し、富者を守るために国家が生れた。
私は農業段階で国家が発生したと思っていた(そうした教育を受けた記憶がある)ので、
牧畜段階の高い評価に驚いた。アフリカ(現地人が牧畜段階)の植民地がアメリカの植民地
(現地人が狩猟採取段階)のように、簡単に西欧の支配に屈服しなかった理由として、
スミスが挙げていたのは、この観点だった。

国家の発生を、富者を守るためとするのはいい。しかし、では、なぜ富者を守るための国家が、
より多数の貧者を支配できたのだろうか。スミスは、富者を守れば小さな富者も守られるからだと言う。
「長いものにはまかれろ」の論理だ。ここは肝心な個所なので引用する。

 「富者は、いわゆるものごとの秩序というものを維持することに、必然的に関心をもつ。
それだけが、かれら自身の有利な立場を安全にたもってくれるからである。
少し富をもっている人々は団結して、たくさん富をもっている人々の財産所有を守る。
それは、たくさん富をもっている人々が団結して、少し富をもっている人々の財産所有を
守ってくれるようにするためである。
わずかの羊や牛しか飼っていない者はみな、自分たちの家畜の群れが安全なのは
多くの羊や牛を飼っている者の牛や羊の群れが安全だからであり、かれらの小さな権威が維持できるのは
多くの羊や牛を飼っている者のもっと大きな植皮が維持されているからであり、そして、
かれらよりも目下の者たちを自分たちに服従させておいてくれる権力を多くの羊や牛を飼っている者が
もっているのは、かれらが多くの羊や牛を飼っている者に服従していればこそだ、と感ずる。
かれらは一種の小貴族をなすのであり、
この小貴族は、かれらの小主権者たる多くの羊や牛を飼っている者の財産を守り、
その権威を支持することによって、小主権者もかれらの財産を守り、
かれらの権威を支持してくれるようにしたほうが得だ、と感ずる。
政府は、財産の安全のために設けられるかぎりでは、そのじつ、貧者にたいして富者を防衛するため、
あるいはいくらかの財産をもつ人々を、まったくの素寒貧にたいして防衛するために設けられるのである」
【3?39,40】。

マルクスが国家の死滅を目標にした理由がこれでわかるだろう。
しかし、マルクスがしっかり見ていなかったこともあるのではないか。
それは富者を守ることの社会全体にとっての意義である。
彼らこそは、社会の生産力を高め、全体の富のレベルをあげていた人々なのではないか。
らを守ることこそが、社会全体にとって正しい選択だったのではないか。
こうした観点をなくすと、貧しさの平等になり下がる。

(3)産業構造の発展と王権の拡大

[1] 領主(大土地所有者=農業経営者)の支配
領主の巨大で凶暴な力の前で、商工業者は「貧乏で卑賎」とされていた【2?34】

[2] 農業の真理が商工業
商工業者が力を持ち始める
・農業の生産力を直接に高めるのが職人【2?7】
 鍛冶屋、大工、車大工、鋤製造、石工、れんが積み、なめし皮、靴、仕立屋など
・農業のために市場拡大をするのが商人

 スミスは都市が農村にあたえる影響の中でもっとも重要なものとして以下をあげる。

「従来ほとんどつねに隣人とは戦闘状態にあり、領主にたいしては奴隷的従属状態におかれて
暮していた農村住民のあいだに、商業と製造業は徐々に秩序と善政をもたらした。」【2?53】。
また商工業者が農民に比較して理解力が上で、いかにずるがしこいかを説明する【1?405】。

これらの意味は、農業の真理が商工業だということではないだろうか。

[3] 王は、他の領主を抑えるために、都市や商工業者と結びつく。
 王は他の領主たちを押さえられなかった。
 封建制は無秩序から秩序への進展である【2?58】。これは王権が領主を抑えるためのものだったが、
機能しなかった。王も領主も、大土地所有者、つまり農業の人間であるから、王が他を圧倒するには、
商工業者の力が必要だったということだろう【2?38~40】。

逆に言えば、領主の中で、商工業と結ぶことができた領主だけが王になれた。 
ここでも、農業の真理が商工業だということが示されているのではないか。

[4] 都市が発展する
ルネサンスを生んだイタリアの自由都市などの発展【2?44】
 彼らの自由とは領主権力に対する自由であり、他に対してはギルドという閉鎖集団を作ることで、
むしろ自由の抑圧をした。この2面性を見ているのがスミス。
重商主義は彼らから生まれたものだと、スミスはとらえていたようだ。

[5] 都市の2つの起源【2?45~49。49ページの注】
一方に自由都市。これは遠隔地貿易と遠隔地貿易のための手工業が栄える。
それに対して、もう1つの都市の系譜をスミスが挙げている。それは内陸にある農村工業町だ。
スミスはこちらに、資本家の芽を見ているようだ。

私はこうした知識がなかったので、驚いた。スミスが指摘した「内陸にある農村工業町」という視点は
その後の経済学の中でどのように展開されたのだろうか。

[6] 近代国家の成立
王権は遠隔地貿易で栄える都市と結びつくことで、自分の勢力を高めようとした。
これが近代国家の成立になる。ここから重商主義が生まれる。

[7] 都市の自由が農村にも及ぶ
 農村にヨーマンという階層が生まれる【2?24】
当然ながら、ヨーマンは、商工業者より低くみなされていた【2?30】

この意味が重要だ。農村から生まれた都市、そこの自由や資本主義が、今度は逆に農業にまで及ぶ段階になった。
この逆移入から農業の意義の見直しが起こったのが重農主義ではないか。

[8] 近代国家と植民地政策と資本主義
王権と自由都市の商工業者が結び付き、遠隔地貿易に専念できる体制を作った
(このギルド的な思想の表現が重商主義)。これに対して、新興資本家たちの立場を代表して
「自由貿易主義」を打ち出したのがスミス。

 以上が、産業構造と王権の伸長と経済思想の関係である。
これらの材料はスミス自身の記述から持ってきたが、スミス自身はこうは理解していなかったようだ。

 スミスは重農主義から学ぼうとしたが、十分には消化できなかった。労働が富の源泉だという理解
(労働価値説)では一致し、再生産のための資本蓄積を視野に入れている点を学ぼうとした。ここまでは良い。

 問題は農業労働だけが生産的労働とする考えを、スミス自身の思想体系の中にどう位置づけるかだった。
商工業と農業の関係をどう考えるかだ。スミスにはこれがわからなかった。

農業の真理が商工業であり、その真理が大工業、さらにその真理が情報産業だと思う。
下位の産業は上位の産業に止揚される。しかし下位が根源であり、生きる上での基盤である。
「根源」とは、そこから始まるが、発展して最高点まで到達できなければならない。

こうした捉え方ができなかったために、スミスは第3篇での都市と農村についての理解で混乱した。
スミスは農業生産力の増大からはじまる国内市場=農工分化の展開が正しく、
外国貿易とそのための工業とが農業の発展に先行するのは間違いだとしている。
これは重農主義に引きずられたバカげた主張だ。発展段階の違うアメリカと西欧を比較するのが、
そもそもおかしいのだ。

また第2篇で資本投下の有効性を、農業、工業、商業(貿易の)の順としているのも、同じ間違いである。
商工業の発展によって成立した資本主義が、逆に農業を変えていく側面を見ていないのだ。
農村から生まれた都市、その自由や資本主義が、今度は逆に農業にまで及ぶ段階になった。
この逆転を見抜けなかったので、スミスは混乱したのではないか。

こうして生まれた近代国家を描いた第5篇では、有名な「国家の義務教育制度」も論じられているが、
それについては第5節の(1)で述べた。

12月 04

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その4)  中井 浩一

■ 目次 ■

第4節 『国富論』の篇別構成
第5節 スミスの経済理論
(1)分業と交換
(2)「人間分子の関係、網目の法則」
(3)欲望の全肯定

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。

==================================

第4節 『国富論』の篇別構成

 『国富論』の篇別構成を考える。
 『国富論』は5つの篇からなる。それは経済学の理論、歴史、政策からなり、
それらが統一的に書かれているとする理解が、ほぼ伝統となっているらしい。
経済理論とは第1篇と第2編であり、第1篇が、資本主義社会のいわば静態的把握、
第2篇がその動態的(再生産論的)把握。第3篇は経済史。経済政策論が第4篇と第5篇で、
第4篇が海外との関係に関する経済政策(あるいは経済学史的な政策批判)、第5篇が国家の財政政策。

        ┏ 静態的把握 第1篇
┏ 経済理論 ┫           
┃      ┗ 動態的把握 第2篇

┣ 経済学史 第3篇

┃     ┏ 海外での経済政策 第4篇   
┗ 経済政策 ┫                    
       ┗ 国家の財政政策 第5篇

 確かに、こうした説明はわかりやすいし、それなりの根拠もある。
しかし、こうした理解は表面的であり、スミスとの主体的闘いをしていない人のとらえかただ。
これではスミスのすぐれた点から学び、それを発展させられないだろう。

 前半の第1篇と第2編は資本主義社会の一般的な説明だが、
後半の第3篇から第5篇までは重商主義批判なのだと思う。

 第1篇と第2編が、資本主義社会の原理的解明にあてられているのは間違いない。
問題は2つの関係である。
第1篇が、資本主義社会のいわば静態的把握、第2篇がその動態的(再生産論的)把握と言えば、
一応の説明にはなるが、それは表面的なとらえ方でしかない。
なぜなら、この2つは十分に結びついてはおらず、ズレや矛盾やほころびが目立つからだ。

 読んだ印象では、第1篇は面白く、平易で、すばらしかった。第2編は、急に難しくなり、わかりにくくなる。
第1篇は、スミスの長い間考えてきた自論であり、スミスが十分につかみきっていた内容だが、
第2編は重農主義(ケネーら)から学んで、自分の不十分な点を補おうとしているものだ。

 私は関口存男の冠詞論を思い出した。彼は「不定冠詞」論ではのびのびと面白おかしく書いているのが、
「定冠詞」論では、息苦しく、ぎくしゃくしている。
それは定冠詞こそムズカシク、そこでこそ彼が闘っていた。
スミスにとって『国富論』を書いた時点では第1篇はよく理解できていた部分で、
第2篇ではまさに悪戦苦闘していたのだろう。

 スミスが実際に闘っていたのは、当時の重商主義だった。
それと闘う上で、自分自身の理論を補強するものとして重農主義をとらえていたが、
それを十分に消化するには至らなかったのだ。
スミスは、自説と重商主義と重農主義の3者の関係を、十分には整理できないままで終わっている。

 それが後半の第3篇から第5篇までの叙述にも影響している。この3つの篇の展開はわかりにくい。
スミスとしては、第1篇と第2篇で、資本主義社会の一般法則を説明したので、
次には彼の重商主義との闘いの現場に、読者を招待しようとしたのだと思う。それが第4篇である。
その中心がアメリカの独立運動への対応で、それが当時のイギリスにとっての最大の問題だった。
その危機は重商主義的な政策のためにもたらされたものだったから、
その徹底的な批判をし、それにスミスの代案を対置している。

 しかしスミスはいきなり重商主義批判を展開しない。
その前に、重商主義と重農主義(スミスの側)を、西欧社会での都市と農村との葛藤の歴史からとらえようとする。
それを第4篇への序章としてその前に置いたのが第3篇だ。
したがって第4篇では重農主義への言及はほとんどなく、もうしわけ程度に最終章に出すだけだ
(第2篇が重農主義に依拠したものだから第4篇では重農主義への言及が少ない、という中公文庫版の説明は表面的だ)。
第5篇は国家財政の問題を説明しているが、その観点こそが、スミスのアメリカ独立容認論の根拠だから、
第4篇の背景説明でもある。

 以上がこの5つの篇の関係である。つまり、大きく言えば、前半は資本主義社会の一般的説明で、
後半が重商主義批判なのだ。ただしそれを西欧社会の発展の総括として行おうとしている。
ここにスミスの大きさがある。

第5節 スミスの経済理論

 資本主義経済についてのスミスの一般理論は第1篇と第2篇に書かれている。

 第1篇はスミスの経済理論の核心だ。スミスにとって富とは生活必需品(消費財)であり、
富をもたらすのは労働である(労働価値説)。第1篇は、前半で生産の面を取り上げ、後半で分配の面を展開する。

 前半では、富を増やすには労働生産性を高めることが核心であり、そのためには交換と分業が増大する必要があり、
そのためには公正な市場原理が貫徹される必要があることが示される(1章から3章)。
つぎに貨幣論(4章)で商品の交換過程(利潤の実現過程)における貨幣の役割が説かれ、
労働価値論(5章から7章)で、商品の価値を決定するのが労働量で、それが労働時間で測れるとする。

 後半の8章以下では労働生産物の分配の面を展開し、
賃金労働者、資本家、大地主という当時の社会の3大階級への分配の姿が、
それぞれ賃金、利潤、地代の順に描かれる。

 第2篇では、資本主義社会の拡大再生産が可能になるには、生産的労働の比率が増大しなければならず、
そのためにはそれを雇用する資本の蓄積がおこなわれなければならないと主張する。
そしてその蓄積のために生産的労働と不生産的労働の区別をし、前者が蓄積を生むとする。
そして、資本投下の有効性を、農業、工業、商業(貿易の)の順とする。

 この順番には重農主義に引きずられたスミスの弱さが出ている(本稿の第6節で説明する)。
 
 この第1篇は、後にマルクスによって『資本論』第1巻で展開された内容だ。
私は第1篇を読んで、マルクスにとっての基本的な枠組みがすべて出ているのに驚いた。

 価値の2面性、つまり交換価値と使用価値の矛盾(4章。【1?51】)、
労働価値説(5章。【1?53?58】)、最低賃金は労働者とその家族の生活維持費(8章。【1?116】)。

 すべての商品の中で、労働力という商品だけが、使用価値と交換価値が一致しない。
この矛盾をマルクスがどう解決したかは第7節で述べる。

 第2篇は後に、『資本論』の第2巻、第3巻になる部分だ。
第2篇の1つの論点は、生産的労働と不生産的労働の対立(3章。【1?516?518】)だが、
これについては、マルクスが『剰余価値学説史』の4章で問題にしている。これも第7節で取り上げる。

(1)分業と交換

 スミスは労働生産性を高めるために交換と分業の増大の必要を説く。
ここに、全体を構造的立体的に把握するというスミスの能力が、いかんなく発揮されている。

 スミスの「分業」という考えは、工場内の分業だけではなく、社会的な分業までを考えており、
それは国際貿易の国際分業論までを含む。
分業は人々が分かれていくことだが、その分業が可能になるのは、
他方で、交換によって全世界が1つに結びついているからだ。この両面の深いつながりをスミスは理解している。

 「たとえば、農村の日雇労働者が着ている毛織物の上衣は、見た目には粗末であっても、
非常に多数の職人の結合労働の生産物なのである。この質素な生産物でさえ、それを完成するためには、
牧羊者、羊毛の選別工、梳毛工または擦毛工、染色工、あら梳き工、紡績工、織布工、縮絨工、仕上工、
その他多くの人たちがすべて、そのさまざまな技術を結合しなければならない。そればかりか、
これらの職人のうちのある者から、しばしばその国の非常に遠隔な地方に住んでいる他の職人たちのところへ
原料を輸送するのに、いったいどれほど多くの商人と運送人が従事しなければならなかったことであろうか!
染色工が使ったさまざまな薬剤(それは、しばしば世界の果ての地方からやってくるが)を寄せ集めるために、
どれだけ多くの商業と航海業が、またどれほど多くの造船工、水夫、製帆工、ロープ製造人が
その仕事に従事しなければならなかったことであろうか!」【1?21】。

 また分業は社会的生産力を高めるだけではなく、個人の能力向上をうながすこと。
この両者は1つであることも、把握している。

 「〔分業によって〕人はだれでも特定の職業に専念するように促される。
またその特定の業務にたいしてもっている才能や天分がなんであれ、
それを育成し完成させるように力づけられるのである。人それぞれの生れつきの才能の違いは、
われわれが気づいているよりも、実際はずっと小さい。天分の差異は、多くの場合、
分業の原因だというよりもむしろその結果なのである」【1?28】。

 分業の効用を説く一方で、分業の弊害、マイナス面についても強調しているのがスミスらしい。
分業による単純労働(賃金労働)が労働者(賃金労働者)を必ず堕落させるというのだ。

 「分業の発達とともに、労働で生活する人々の圧倒的部分、つまり国民大衆〔つまり、賃金労働者〕
のつく仕事は、少数の、しばしば一つか二つの〈ごく単純な作業〉に限定されてしまうようになる」。
すると「さまざまの困難を取り除く手だてを見つけようと、努めて理解力を働かせたり工夫を凝らしたり
する機会がない」。「こういうわけで、かれは自然にこうした努力をする習慣を失い、たいていは
神の創り給うた人間として〈なり下れるかぎり愚かになり、無知になる〉」。「淀んだようなかれの生活は
十年一日のごとく単調だから、自然に〈勇敢な精神〉も朽ちてしまい、そこで、不規則不安定で
〈冒険的な兵士の生活〉を嫌悪の眼で見るようになる。単調な生活は、かれの肉体的な活力さえも腐らせてしまい、
それまで仕込まれてきた仕事以外は、どんな仕事につこうと、元気よく辛抱づよく自分の力を振るうことが
できなくなってしまう。」【3?143,144】

 スミスは分業の問題として、賃労働者のことを「愚かで無知」になるといいながら、資本家は問題ないとする。

 「ある程度の地位や財産のある人たちが生涯の大部分を過ごす職業〔つまり資本家〕も、
庶民の職業のように単純で千篇一律のものではない。そのほとんどどれもが、極度に複雑で、
手よりは頭を使うといったものである。だから、こういう職業についている人々の理解力が、
〈使い方が足りないために呆けてくるなどということは、まずありえない〉」【3?146】。

 資本主義社会の生産力を支えるのは国民大衆であり、労働者としての彼らにとっての最低限の前提は
「読み書きそろばん」の能力である。スミスが国家による義務教育を推奨していることは有名だ。
それは貧民層には教育を受ける余裕がないことを考えてのものだ。
しかし、スミスは子ども時代の教育だけを考えているのではない。
その先の労働者としての生き方や教育が念頭にあるのだ。
スミスが問題にしているのは、最低限の「読み書きそろばん」の能力よりも、
「勇敢な精神」「冒険的な兵士」の能力、闘争心や野心や覇気だからだ。
したがって、スミスはそれが失われることを一番心配している。それが資本主義社会のエートスだからであろう。
その対極のあり方を、スミスは端的に「臆病」と呼ぶ。

 「臆病者、つまり自分の身を護ることも、仕返しすることもできないものは、明らかに、
人間としての特性の一番肝心な一面を欠いている」。「臆病にかならずふくまれている、
この種の精神的な不具、畸形、卑劣が国民大衆のあいだに拡がってゆくのを防ぐことは、
やはり政府のもっとも真剣な配慮に値しよう」【3?152】。

 しかし、スミスの視野からは資本家たちの堕落の可能性が全く抜け落ちていることがわかる。
スミスの時代にはまだ資本主義が未発達で、賃金労働者と資本家の対立はまだ顕在化していなかった。
資本主義が大きく発展すると、賃金労働者の搾取(剰余価値の収奪)の上にあぐらをかいて資本家自身も
「臆病」になっていく。それを告発するためには、もう一人の巨人マルクスを必要とした。マルクスは、
分業の弊害は賃金労働者にだけではなく、まさに資本家において現れることを示した。
そして、それゆえにマルクスは社会全体における「分業の止揚」を目標として掲げ、
賃金労働者階級の立場が資本家階級を止揚すると主張したのだった。

(2)「人間分子の関係、網目の法則」

 『国富論』で、分業と交換の関係の例に取り上げられた「毛織物の上着」。
これを読んで、私は『君たちはどう生きるか』の「人間分子の関係、網目の法則」の箇所を思い出す。

 『君たちはどう生きるか』は吉野源三郎が戦時中の中学生に向けて書いた不朽の名作。
タイトルから分かるように、これは人生読本だが、単なる道徳や倫理の本ではない。
倫理(人間の当為)を社会科学(対象の本質)と結び付けて説明する。
さらに社会科学や自然科学を少年たちの日常生活の中から説明していく。
この点で、この本は青少年が読むテキストとして模範的であり、
私も10年以上にわたって、鶏鳴学園のテキストとして使用してきた。
ちなみに、倫理と社会科学と結び付けるというのは、
存在のあり方(本質)が当為を決めるという立場であり、スミスと同じだ。

 この『君たちはどう生きるか』の3章では、主人公のコペル君がおじさんに大発見
「人間分子の関係、網目の法則」を報告する。コペル君は自分が赤ん坊のころに飲んでいた粉ミルクが
自分の手に入るまでの過程を思い浮かべて、そこにオーストラリアの「牧場や、牛や、土人や、
粉ミルクの大工場や、港や、汽船や、そのほか、あとからあとから、いろんなもの」を見出した。

 コペル君は粉ミルクが日本に来るまで、粉ミルクが日本に来てからの過程で
「数え切れないほど大勢の人とつながっている」ことを自覚し、おじさんに報告する。
「僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、
網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを『人間分子の関係、網目の法則』
ということにしました」(岩波文庫版85ページから88ページ。以下同じ)。

 おじさんは、その大発見が実はすでに社会科学で研究されていることを説明する。
「ごくごく未開の時代から、人間はお互いに協同して働いたり、分業で手分けをして働いたり、
絶えずこの働きをつづけて来た。こればかりは、よすわけにいかないからね。ところで、
人間同志のこういう関係を、学者は〈生産関係〉と呼んでいるんだ」(90ページ)。
そしてこの生産関係の歴史的推移を説明することで、唯物史観の立場からの簡単な人類史を描いて見せる。

 「これはまさしく『資本論入門』ではないか」。文庫の解説で丸山真男はこう感嘆している。

 「資本論の入門書は、どんなによくできていても、資本論の入門書であるかぎりにおいて
どうしても資本論の構成をいわば不動の前提として、それをできるだけ平易な表現に書き直す
ことに落ち着きます。つま。資本論からの演繹です。ところが、『君たちは……』の場合は、
ちょうどその逆で、あくまでコペル君のごく身近にころがっている、ありふれた事物の観察と
その経験から出発し、『ありふれた』ように見えることが、いかにありふれた見聞の次元に属さない、
複雑な社会関係とその法則の具象化であるか、ということを1段1段と十四歳の少年に得心させてゆくわけです。
一個の商品のなかに、全生産関係がいわば『封じこめられ』ている、という命題からはじまる
資本論の著名な書き出しも、実質的には同じことを言おうとしております。
れどもとっくにおなじみの『知識』になっているつもりでいた、この書き出しを、こういう仕方で
かみくだいて叙べられると、私は、自分のこれまでの理解がいかに『書物的』であり、したがって、
もののじかの観察を通さないコトバのうえの知識にすぎなかったかを、
いまさらのように思い知らされました」(313ページ)。

 丸山は吉野の方法の核心を的確に分析し、解説している。しかし、『国富論』を読んだ我々は知っている。
このコペル君の大発見は、『国富論』中の「毛織物の上着」の例【1?21,22】のパクリであること。
したがって、「人間分子の関係、網目の法則」は何よりもまず『国富論入門』なのであり、
そしてそれゆえにまた『資本論入門』にもなっているのだということを。

 さて、吉野のすごさを認める点で、私は人後に落ちるものではない。
しかし、吉野の欠点を見逃すわけにはいかない。

 倫理と社会科学とを結び付けること、つまり存在のあり方(本質)が当為を決めるという立場である点で、
吉野とスミスと同じだ。スミスは倫理学の教師からその経歴を始めているぐらいだ。この両者の立場は
「存在が意識を規定する」という唯物弁証法のものである。しかし2人の違いの大きさも明らかだ。

 おじさんは「今日、世界の遠い国と国の住民同志が、どんなに深い関係になっているか」(93ページ)
という事実から、当為を引き出す。「人間は、人間同志、地球を包んでしまうような網目をつくりあげた
とはいえ、そのつながりは、まだまだ〈本当に人間らしい関係〉になっているとはいえない。だから、
これほど人類が進歩しながら、人間同志の〈争い〉が、いまだに絶えないんだ」(97ページ)。
そしてその「本当に人間らしい関係」とは親子の愛情のような無私なものだと説明する。

 つまり人と人との深い結びつきが存在するという事実から、「本当に人間らしい関係」
=親子の愛情のような無私なものという当為を導き出すのが吉野だ。

 これに対して、同じような事実からスタートしながら、スミスは欲望の全肯定に至る。
その観点から世界の発展を見ているスミスと比較すると、吉野は実に静的である。
また、吉野が理想社会を家庭に喩えることも一面的だ。ヘーゲルは『法の哲学』で、
家族から市民社会を導出し、さらにその矛盾対立から国家を導出した。
その動的な把握との違いは明らかだろう。家庭の問題は家庭レベルでは解決できない。

(3)欲望の全肯定

 スミスは人間の欲望を全面的に肯定したが、その真意は何か。
その主張を「自由主義」「自由放任主義」と呼ぶことは適切だろうか。

 『国富論』には、欲望と野望に燃えるビビッドな人間たちがうごめいている。
その彼らをスミスはまず肯定することから始める。スミスは欲望の全肯定の立場である。
これは彼の経済理論、つまり交換と分業に発展の原動力を見る立場からの必然的な帰結である。

 「文明社会では、人間はいつも多くの人たちの協力と援助を必要としている」
「だが、その助けを仲間の博愛心にのみ期待してみても無駄である。むしろそれよりも、
もしかれが、自分に有利となるように仲間の自愛心を刺激することができ、
そしてかれが仲間に求めていることを仲間がかれのためにすることが、仲間白身の利益にもなるのだ
ということを、仲問に示すことができるなら、そのほうがずっと目的を達しやすい」。
つまり「私の欲しいものをください、そうすればあなたの望むこれをあげましょう」と
提案すればよいのだ(【1?25,26】。

 人間の欲望を肯定できるのは、それが他者の欲望に応えること、
つまり社会的ニーズに対応して交換できることを絶対条件とするからだ。この仕組みがあるからこそ、
社会全体がコントロールされるとスミスは見ている。ここにあるのは経済上の原則である。
しかし、それだけではない。私たちが感ずるのは、スミスの人間への深い信頼感である。
スミスは人間を絶対的に信頼している。
だから「当事者の分別に任せるべき」【1?565】と言うし、
第4篇で「見えざる手」が出てくる【2?120】。
これはヘーゲルでは「理性の狡知」にあたるだろう。

 このスミスの立場は「楽天主義」「能天気」なものではない。
スミスの静かで冷静でリアルな全体的観察の凄み、その上での人間への絶対的信頼であることが、
説得力を生んでいる。スミスは「経済通」である前に、何よりも「人間通」なのだ。

 しかし、このスミスの考えを「自由主義」「自由放任」(この言葉は一度出てくるだけである。
【2?200】)主義といった言葉でどこまで正確に表現できているかは問題である。
むしろこの用語で混乱が起きているのではないか。
これは重商主義に対してスミスの考えを対置した際の標語に過ぎない。
それを文字通りに取るのは間違いである。

 スミスは欲望の全肯定の立場で、人間への絶対的信頼の立場でもある。
しかし、それはありのままの人間の肯定でもなく、現象しているままの欲望の肯定でもない。
それは「自由放任」ではない。
スミスが国民大衆に要請する、労働の義務や「勤勉」「節約」は、いわゆる「自由」ではあるまい。
もし本当に自由放任でいいならば、そもそも彼は『国富論』を書く必要はなかった。
スミスは勃興する資本家の立場を守り、それを妨げている連中を〈規制〉するために、『国富論』を書いたのだ。

 例えば、スミスは明確に消費者の側に立ち、生産者の利益を〈規制〉しようとする。
「消費こそはいっさいの生産にとっての唯一の目標であり、かつ目的なのである。
したがって、生産者の利益は、それが消費者の利益を促進するのに必要なかぎりにおいて
配慮されるべきものである。」【2?464】。

 では「欲望の肯定」というスミスの真意は何か。
彼は、欲望の概念を展開し、それが正義と公正に到達する全過程を示そうとしたのだと思う。
つまり人間の概念を展開しようとしたのだが、「欲望」にその芽を見たのだ。
欲望の意味、その本質を全面展開すると、真の利益に到達する。

 しかし、スミスにはヘーゲルのような発展の理解がないから、答えを出せない。
重商主義の「統制(規制)」に対して「自由」を対置するだけなら悟性的だ。
ヘーゲルなら、重商主義を展開して、それが自らの限界を露呈して滅んで行き、
その結果、スミスの求める社会が現れると書くだろう。

 ちなみに、現代でも「統制(規制)」に対して「自由=規制緩和」を対置するバカたちがいるが、
こうしたバカのどこがどうバカなのかをはっきりととらえることが重要だ。

 自由と規制は本来は一体で切り離せない。
敵対する勢力があれば、他方の自由は他方の規制である。
問題は規制か自由かではなく、どの階級に対する規制と、どの階級にとっての自由かなのだ。
つまり、「規制緩和」を言うならば、どの階級と闘い、どの階級の味方をしようとしているのかを、
その理由(これが眼目!)と共に明示すべきだ。
それをきちんと説明しないで、抽象的なお題目を振りかざす連中は、「道徳」に堕したバカか、
真意を隠して目的を達成しようとする詐欺師である。